今の時代、SNSのない生活なんて考えられない。新しい人とのつながりは、会うよりも文字でやり取りするほうが何倍も多くなった。
私がSNSと深く関わるきっかけとなったのは、高校生の時。
ちょうどスマートフォンが普及し始めた頃に高校生となった私たちは、初めて持った携帯電話がスマートフォンという人が少なくない。これと同時に、メッセージアプリが瞬く間に基本のメッセージツールとなり、インストールしていない人が情報難民に陥るほどになった。
私にとってSNSは、情報収集に欠かせないツールであり、対面で話さなくてもよいので使い勝手の良いサービスだ。面と向かうと何を話してよいかわからなくなる私にとって、誰かとつながることができるのは、この場所だった。
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当時私は、あるアイドルグループを応援していた。かなり深くハマっていたため、テレビや雑誌を見ては、奇声に近い声を発するくらいだった。友達や家族には、ここまで熱を持った人はおらず、気持ちを分かってくれる人はいない。しかし、SNSの中には、求めていた熱量があり、それを凌駕する人もいた。
コンサートが近くなれば、同じ会場に足を運ぶ人たちのコミュニティができた。会場へは何時に向かうか、この際なので会えないか、集合写真を撮りましょう、など。SNS上でコミュニケーションを取り仲良くなると、現実世界でもつながりが持てた。一度つながれば、次のコンサートも、次のイベントも、同じようにつながる。推しに会いに行くのは大前提として、SNSでつながった人たちに会うことも恒例化していった。
このつながりで出会った人の中には、長く友達として付き合ってくれた人もいた。一緒にイベントに入り、家に泊めてもらうこともあった。自分が足を運べない地方には、グッズを代わりに買ってもらうやりとりをするなど、さまざまなつながり方でたくさんの人とつながった。
今は、自分と推しとの程よい距離を見つけ、それなりに落ち着いているため、以前つながっていた人とは、もうほとんど関わっていない。しかし、今でも連絡先を知っている人や、久しぶりに連絡を取った人もいる。
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学校では、自分の居場所がないと感じ、友達もわずかしか作らなかった。それどころか、当時つながっていた以上のつながりを拒絶していた私だったが、SNSの中では、新たなつながりを求めて動いて、友達と呼べる関係を構築しようとしていた。
同じ趣味だから感じる嬉しさ、同じ熱量だから夢中になれた推し活、中身だけを知るからこそ膨らむ会いたい気持ち、これらはすべてSNSをしていて感じたことである。
きっと今でも、これらに深く依存して、居場所はここしかない、とまで感じる人もいるだろう。私もそうだったように。
ときどき、自分の人生を振り返る時がある。SNSという居場所があったから、学校や現実世界で浮いているような感覚でも、生活していけたのだと思う時がある。好きなアイドルと、気持ちを共有できて熱をさらに高めてくれるSNSは、なくてはならない存在だった。
今でもSNSは私にとって、息抜きできる場所だ。誰かとつながっていることで、自分を楽しくさせてくれる情報がやってくる。人とのつながりは、昔よりはなくなったけれど、自分なりの交友関係を築くことができ、10年近く経つ今でも残っている。
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つながるって楽しいこと。つながったって嬉しいこと。今もつながっているって貴重なこと。
SNSでのつながりを通して、人と出会う大切さも感じられた。楽しかった思い出も作れた。黒歴史なところもあるけれど、それはそれで人生の経験として自分に刻むことにする。それに、関わってよかったと思うことのほうが圧倒的に多い。
当時より今のほうが、格段につながりが重視されており、インフルエンサーという存在や、フォロワー数で影響力を持つか判断される時代になった。深い関わりも大切だが、広く浅く関わっている人のほうが重宝され、信憑性を持つようになった時代でもある。私がSNSと出会ったときよりも、SNSの形や意味が変わっているように感じるが、それも文化の変遷の一部だろう。
SNSを通してつながるのは、友達だけではなく、仕事もだ。取引先の相手や個人的にやり取りしている相手、名刺に記載する連絡先としてもSNSが使われる。これから、どこまでも密接になっていくサービスだからこそ、人とのつながりは大切にしていきたい。