「Twitterに登録した日を覚えていますか?」
ある日、こんな通知がきた。どうやら登録して10年になるらしい。そんなに使っているのかと自分に引いた。
登録したのは2011年の夏。この年に起きた東日本大震災で、Twitterは情報の発信や収集に活用されたという。

見るだけから、自ら発信するためのツールに変化したTwitter

もともと、Twitterを始める気はなかった。
大学受験が終わり暇になった私は、進学予定の大学で同級生になるひとたちのアカウントを見つけた。自分のアカウントは持たず、ただひっそりつぶやきを見ているだけだった。
地元を離れて上京するにあたり、震災関連の情報も集めていたと記憶している。

大学では学園祭実行委員の広報チームに入った。学園祭の公式アカウントの運用がきっかけで、操作に慣れるために自分のアカウントを作成した。
やがて友人と劇団を立ち上げ、劇団のアカウントも担当することになった。演劇公演には集客が不可欠だ。自分のアカウントでも熱心に宣伝した。

こうして私にとってTwitterは、見るだけのものではなくなり、自ら発信するためのツールに変化していった。
宣伝のノウハウなんて周りのだれも知らない。芸術系の我が校の学生で、広報活動に関心を持つ人間は少数派だったのだ。私は手探りで発信を続けていった。稽古の写真を載せたり、作品の見どころを書いたり。
いまでこそ、SNSの運用の仕方についての情報なんていろいろなところに転がっている。しかし当時はさっぱりわからなかった。

それでも劇団のアカウントで発信を続けるうちに、知らないひとがフォローしてくれて、公演を観に来てくれるようになった。感想をつぶやいているひとを見つけたら片っぱしからリツイートした。

Twitterで広がる出会いや発見に、のめり込んでいった

自分のアカウントでも出会いがあった。普段は何気ないつぶやきがほとんどだったが、公演の案内を送ったら観に来てくれたひと。そのひとから舞台に出ないかとお誘いをもらった。舞台に出演してから、つながりが一気に増えた。
発信し、それがきっかけでつながっていく。Twitterにのめり込んでいった。

大学卒業後、劇団は事実上の解散となった。私は就職し、演劇から離れた。宣伝することはなくなったが、他人のつぶやきを見続けた。
同級生、先輩、後輩。それぞれの人生が垣間見える。演劇を続けているひと。新たな道に進むひと。結婚や出産の報告をするひと。

数年たち、仕事に疲れて、知り合いのつぶやきを見るのが辛くなってきた。順調に人生を歩むみんなと比べて、へろへろになって立ち止まっている自分が無価値であるような気がしたのだ。

仕事を辞めたあと、とあるソーシャルゲームにはまり、推しと呼べるキャラクターに出会った。
現実と地続きになっていたアカウントから一度離れ、匿名でゲーム専用のアカウントを新たに作成した。
年齢も立場も違う会ったこともないひとたちと、同じものについて語る。結構居心地が良い。
好きなキャラが同じひともいれば違うひともいる。推しについての発信を、推しをよく知らない人が見て反応してくれるのが嬉しい。別のキャラが好きなひとのつぶやきで、なるほどこの子も魅力的だなと発見がある。

発信し、つながる。いまだから起こりうる奇跡をまだまだ見ていたい

新しい仕事を始め、たまに元のアカウントにもログインするようになった。
私の人生も少しずつ進んでいる、と感じられるようになってきた。
発信することなんてもう何もないと思っていた。けれど生きている限り何かしら起きる。その何かしらをつぶやいたり、だれかの発信を受け取ったり。肩の力を抜いて、ゆるく付き合っていけば良いのではないかといまは思う。

つぶやきは流れていく。自分の発信が、届いてほしいひとに伝わることは奇跡だ。発信し、別のだれかとつながる。いまの時代だから起こりうる奇跡をまだまだ見ていたい。