SNSは良い点がたくさんある。
人とのつながりが容易になった。気軽に人と繋がれるようになった。
友だちとの連絡は楽になり、友だちの友だちと、どんどん自分の輪が広がっていく。
さまざまな感情を共有でき、寂しさを感じにくくなったり孤独感が和らいだりした人もいるだろう。

SNSの負のスパイラルから抜け出したくて、日々の発信を始めた

しかし、必ずしもSNSが良い方向に働くわけではない。
Twitterを見ると、いいねの数が気になる。写真を見ると家族が増えていたり、出世していたり、幸せそうな風景が広がったりしている。
そんな様子を見て、自分が惨めになる。
そんな様子を見て悶える自分自身も嫌になる。負のスパイラル。

私もそんな負のスパイラルを抱いてしまう1人だった。
タイムラインに上がっている仲睦まじい写真。
名字の変わる同級生。フォロワーの多い友人。
その様子を見ては、自分が惨めな気になった。
私は成功してない。つながりも少ない。10代の頃に賞状や盾、メダルをもらって活躍していたのはもう過去の話。今では周りの方がずっと前に進んで成功を掴んでいる気がした。
自分も何か始めて、前へ進もうと、日々の出来事を発信しようとTwitterやFacebookへの投稿を始めた。
でも、あることをきっかけに、私はSNSで発信することを辞めた。

ミスになった私の投稿には、複数の匿名による心ないコメントが

私は仕事をしながらミスコンへ応募して、地元のミスとなった。
そこで、ミスの宣伝活動や、地域のイベントの宣伝活動のためにSNSを始めた。撮影会で撮ってもらった写真をあげたり、趣味でやっていた音楽活動について投稿したり、わずかないいねだけだったが、それでもいいと思った。
しかし、よく見てみると、
「あの子がミスだって、マジウケるんですけど!」
「見た見た、マジ爆笑~」
「ってか、高校の同級生だけどさ、こんな人いたっけ?って感じだった」
「それな!だれ?って思ったわw」
それは私への悪口だった。
見られていないと思っているのか、匿名だからいいと思っているのか、コメント欄に複数のやりとりが残されていた。本名を名乗らなくてはならないわけではない。そのため、一つ一つの言葉の責任が薄くなっているように感じた。
書いた本人は軽い気持ちなんだと思う。もうそんなこと発信した覚えすらないと思う。
でも、書かれた方は、今でも覚えている。もう3年以上も前の話なのに。

掴み取ったはずの自信はなくなり、SNSとの距離が一気に遠のく

「ネットの世界だから」
そうやって割り切らないといけないのかもしれない。でも、私は……あの時怖くなったんだ。
SNSという世界が怖くなった。

私がミスになることは、おかしいことだったのだろうか。私なんかがやるべきではなかったのだろうか。私が自分で応募して、オーディションを受けて掴み取ったはずなのに…自信がなくなった。
自分はミスに選ばれることにふさわしい人間ではない気になった。
学生時代は地味で、オシャレにも興味のない人間だった。そこから自分を磨こうと変わろうとしてここまできたと思った。だけど、やっぱり周りからは今でもあの頃と変わらず地味な私のまま。笑われるくらいの人間のまま。
傷つき、悶々と悩み、投稿する回数は激減した。フォロワーは減り、ほぼ見るだけ専門のアカウントになった。SNSとの距離が一気に遠のいた。

発信する言葉一つ一つを大切にして、少しずつ近づいていこう。

SNSは気軽に人と人とが関わり合える、便利なツールだ。しかし、軽い気持ちで発言している人がたくさんいる。そして、私のように傷つく人がいる。SNSとの距離が近いと怖い目にあう。

だからといって、そこから離れた私の行動は正解とは限らない。今の時代、SNSで仕事のやりとりをしたり、社会の情勢を知ったりと必要不可欠なものとなりつつある。
私はそんなSNSから、一つの出来事で関わりを断ち切った。私は弱い。弱かった。
そこで考えた。
少しずつ近づいていこう。
私は発信する言葉一つ一つを大切にする。
つながりを広げ、自分のペースで前へと進む。
弱い自分に勝つために。強い自分になるために。