中学生くらいの頃だっただろうか。「終身雇用」という言葉をどこかで聞き、なんとなくそうやって生きていくものなのだと感じていた。どこかのタイミングで会社に入り、そのまま一生その企業で働き続けるのだと、漠然と受け入れていた。
当時の私は、働くことがどんなことなのかさえ、わかっていなかったというのに。

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時がたって、大学卒業のとき。私は人の勧めから地方公務員試験を受け、内定をもらった。家族も友人も喜んでくれた。私自身は、地方公務員に対して特別な思いを抱いていなかったが、ひとまず仕事ができることに安心を覚えていた。

このまま一生、この自治体で働いていく。そう漠然と考えながら、頭の奥の方で小さな不安があったことに気づかないふりをしていた。
就職後、半年は仕事を覚えることで精一杯で、一日いちにちがあっという間にすぎていった。偶然配属された課が、世間がいう「忙しい」とか「大変」だとかいう課だったからかもしれない。ただ、仕事をしていくうえで様々の人の人生に触れて、学び、私が今まで見てきた世界はあまりにも狭く小さかったのだと痛感する毎日であった。

仕事が大変ではなかった、楽しかった、と言えば正直嘘になるくらい忙しかったし、しんどいと思うこともあった。それでも私の頭の隅にはどこかで「終身雇用」なんて言葉が存在していたのかもしれない。だから毎日を必死で過ごして、金曜日の夜に同僚と一緒に夜ご飯を食べにいくことだけを生きがいに頑張っていた。

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ある日、いつも通り仕事に行こうと思った私は、職場の最寄り駅でふと足を止めた。そのまま駅のホームのベンチに座り、動けなくなってしまった。そのとき一番に考えたことが「ああ、このときがついにきてしまった」だった。
毎日、本当に学びのある日々だったけれど、私には少し刺激が強いとは思っていた。それでも頑張っていこう、「終身雇用」という言葉が頭をよぎる限り、頑張っていこうと思っていたのに、その日は来てしまった。

それから、診察や休職、一度の復職からの二度目の休職を経て、私はついに退職をした。20代の私にはあまりに大きな出来事だったように思う。仕事を辞めてしまったことへの罪悪感が強く、塞ぎこむ毎日が続いた。

でも、どうだろうか。ほんの少しだけ元気になったときに、私は大学時代の知り合いと話をした。そういえば、仕事をしてから外部との連絡を絶っていたから、実に数年ぶりに話をするなと思っていた。

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彼女から言われたことは「今時、転職も珍しくないよ」だった。私はひどく驚いた。私の職場には転職を希望している人たちがほとんどいなかったからだ。
「終身雇用の時代は終わったよ」「私も転職1回しているし、近いうちにもう1回する予定だよ」と教えてもらって、目の前が急に真っ白になった。

中学生の幼い私が、ぼんやりと覚えていた「終身雇用」はもうすでに時の流れから消えつつあり、若いうちの転職は珍しくないとのことだった。よく話を聞くと同じ大学の子たちも何人も転職活動をしていた。私は再び広い世界を見たような気がした。

それから、私はゆっくりと治療を行い、今は何とか病気と付き合いながら新しい仕事をしている。今までのようにフルタイムでとまではいかないが、少しずつ私自身と向き合いながら、仕事との付き合い方を考えていくことにしている。
働き方は無限だった。時代はものすごいスピードで変わっていた。ついて行ってもいいし、流されてもいい。とどまってもいいだろう。
まずは自分について知っていき、自分の意志を持つことが今の時代、大切なのかもしれない。