大学1年の初夏、恋人に別れを切り出した。
LINEで簡単に関係が終わったとき、堪らず大学のトイレへ駆け込んで泣いたことを覚えている。

高校から長く付き合っていた人だった。
怖い見た目から想像がつかないほど純粋で優しくて、家族をとても大切にしていた。
家庭が複雑で荒れていた私を、躊躇いなく丸ごと受け入れてくれたのは彼だけだった。
彼がいなかったら、今の私はいない。
きっともう二度と会わないけれど、私の人生において大事な存在だったと、今でも思ってしまう。

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もう10年ほど前の話。高校を卒業した私たちは一緒に上京した。
専門学校でデザイナーの夢へ向かって頑張る彼は、目標も曖昧なまま大学進学した私にとって、憧れの対象だった。
家はいつも、大量の図面や布やハサミなどの道具で溢れていた。絵が上手な彼が手早く描くデザインは、見たものしか描けない私にとって魔法みたいでドキドキした。

彼も頑張ってるんだから、私も頑張らなきゃ。
そうやって自分を励まして、慣れない大学生活や初めてのアルバイトなどをやっていた。
人見知りの私にはその何もかもが大変だったけれど、自分を奮い立たせてなんとかやり繰りしていたころだった。

「なんか、思ったのと違ったんだよね」
彼がそう言った。入学して2ヶ月ほど経っていたと思う。
「え、専門学校が?」
「そう。実際に授業が始まってみたら、全体的にあんまりやりたいことじゃなかったんだよな」
彼が毎日楽しく取り組んでいると思っていた私は、びっくりして尋ねた。
「でもオープンキャンパス行ったり説明会聞いたりして決めたんだよね?それでも頑張らなきゃじゃない?」
「そうなんだけど、ここまでとは思わなくて」

今思えば、これが黄色信号だったのだ。

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気がつけば、彼はタバコを吸うようになっていた。
家ではいつも発泡酒を飲んで、夜は学校の仲間とクラブやライブハウスに通うようになった。
私が眉をひそめても、「付き合いがあるし」と言って聞かず、夜遊びは当然次の日の授業に響くようになり、膨大な課題は積み上がっていくばかりになっていった。

派手な業界だから。
友達付き合いは大事だから。
彼なりの葛藤もあるはずだから。
頭では分かっていても、そんな風に変わっていく彼が嫌だった。
夢に向かって全力だった彼が、よくいるつまらない学生になってしまったのが悲しかった。

一方で、私は大学生活が少しずつ楽しくなっていた。
ゼミの教授とは話が合い、講義後もよく話をした。部活では社会問題を扱っていたため、学ぶほどに世界が広がっていくのを感じて面白かった。
同時に、課題や学ぶ機会を放り出して遊び呆ける彼に対して、どうしても軽蔑が隠せない自分がいた。

この時点で、私たちは完全にすれ違ってしまったのだと思う。
彼は私より仲間との時間を優先し、私は彼を尊重することができなくなった。連絡もほとんど取らなくなり、会うこともなくなった。
別れを切り出したのは、嫌いになったからではない。まだ大好きだった。でも、私が大好きだった彼ではなくなってしまったから、もう終わりにしたかったのだ。

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別れてから気づいたこと。
どんなに華やかな業界であっても、夢に向かって努力を続けることは、とても地味な作業の連続で根気が必要だということ。
いつだってキラキラとした姿を見せられるわけではないこと。数え切れないほどの挫折や誘惑の中で、地道に前へ進もうとすることがどれほど難しいか。
私は本当は、知っていたはずだったのに。

大学受験のとき、挫けそうになるたびに励ましてくれたのは彼だった。
私が頑張れないとき、どんなに忙しくても駆けつけて私に寄り添ってくれたのは、次の日朝早くても何時間でも電話に付き合ってくれたのは、他でもなく彼だった。

ちゃんと話を聞けばよかった。
頭ごなしに責めてはいけなかった。
ダメなことはもっと怒ればよかった。
その上で、応援してると伝えて寄り添うべきだった。
私にしてくれたみたいに。

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私はその後、就職先で知り合った人と結婚した。幸いなことに、私たちの間にはまだ別れの危機は1度も訪れていない。
でもこれから先、なにかあったら。
想定のない災難や苦労の中で、2人がもし別の方を向いてしまったら。

あの時みたいに拗ねず、斜に構えず、責めず、素直に真正面から向き合えるだろうか。
相手が道を逸れていくことを、怒ることができるだろうか。
その上で、寄り添えるだろうか。

できるだけ来て欲しくないけれど、この先の人生で何かあっても、私は絶対にあの時みたいにはなりたくない。
困難にも、誘惑にも、自分や相手の弱さにも、負けたくない。一緒に戦って、そばに居たい。

輝いているときも挫けているときも、変わらず味方でいてくれる人は宝物だったのだと、あの時の私は知ったから。