母は料理が苦手だ。おふくろの味と呼べるような馴染みの料理がない。ゆえに私にとってのおふくろの味は祖母が作るご飯なのである。
しかし、祖母はほとんどご飯を作らなくなってしまった。祖父を亡くしてから、祖母は生きる気力を失ったようなのである。

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持ち物の大半を捨てたがらんどうな家で、祖母はぼんやりとテレビを眺めて一日を過ごす。
なぜか次々と病気が見つかる。病気の進行は止まらない。今の祖母は死にゆくのを静かに待っているように見えてしかたがない。
老いていく祖母から目をそらせたらどんなに楽だろう。
そんなことを考えては一人切なくなる。
こちらの話なんか聞かずにおしゃべりをする。おしゃれが好きで月に一度は美容院へ通い、化粧品はお気に入りを使う。加えて料理上手。私はそんな祖母が大好きだった。
だった。
今の祖母から面影を拾い集めては、哀しくなるばかり。
先日、そんな祖母の自宅に三泊したのである。両親ともにコロナの陽性が疑われたため、陰性である私たち姉妹を隔離することになった。

久々の来客に祖母は「雷が来たようだ」と言ったが、その顔はほころんでいた。せかせかと動き回り、いつもより大きい声で話をしていた。だが、夜には体力がなくなり夕ご飯はスーパーのお惣菜が食卓に並んだ。私たちに気を遣って好物のサーモンも用意してくれた。
美味しい。確かに、美味しい。けれどそれと同時に寂しさが湧いた。
祖母はもう、料理をしないのだろうか。
そんなことを確認できるわけもなく二日が過ぎた。

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「お弁当それだけなの?」
祖母は私の手元のサツマイモを凝視していた。
私は学食ではなく、毎日お弁当を持って行っている。
「お腹すくでしょう」
お腹が空くが減量中であるため、あまり食べないようにしていた。
「何か作るよ。何がいい?」
その言葉にとても驚いた。祖母の料理が食べたいとは思うが、祖母の負担になるからと申し出ることができずにいたので。
「……卵焼きが食べたい!」
祖母が作ってくれるお弁当には、いつも卵焼きが入っていた。小学校の運動会ではお弁当箱一面に卵焼きを敷き詰めてもらうほど、私はそれが大好きだった。

「ちょっと待ってな」
そういうがはやいか、慣れた手つきであっという間に焼き上げた。使った卵は二つなのにふっくらしていて大きい。表面はしわ一つなくつやつやしている。
祖母は切り落とした端を菜箸つまむと私の口へ放り込んだ。
熱くて涙目になったふりをしたが、本当はあったかい涙がこぼれそうだった。

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久しぶりの祖母の卵焼き。懐かしいあの味。帰宅後に美味しかったと伝えれば「納豆のタレを入れたのよ!」と祖母が言った。
「醤油でもめんつゆでもダメなの、納豆のタレじゃあなくっちゃ」
「私もこの味で作れるようになりたい」
「なれるよ、練習すれば。そんなに難しくない」
祖母はこの世からいなくなってしまう。きっとそう遠くないうちに。
けれど、祖母の卵焼きをの味を忘れずに再現できるようになれば、この寂しさが少し和らぐ気がするのである。