わたしが9歳のときに、我が家にミニチュアダックスフンドがやってきた。元々、ラブラドールレトリバーを飼っていて、その子のご飯を買いにペットショップへ行ったときに、あまりの可愛さに「連れて帰らないなら、わたしも帰らない」と親にねだりにねだってお迎えした子だった。

優しい海と天使みたいに可愛い桃は、欠かせない大事な「家族の一員」

小さくて、天使みたいに可愛くて、それでいてすごくわがままで、甘えん坊なくせにツンデレで、寂しがりで、妹がもうひとりできたような感覚だった。そもそも犬を飼ったのは、共働きの両親が、わたしと妹が家に帰って寂しくないようにとのことで、ラブラドールレトリバーをお迎えしたのだ。ペットショップに行く車の中で、「男の子だったら海、女の子だったら桃って名前にしよう」と話していた。

そして、ラブラドールの男の子を飼うことになって、その子は男の子だったので海と名付けて、その1年後、わたしが一目惚れしたミニチュアダックスは女の子だったので、桃という名前になった。

海は桃のことが大嫌いで、桃は海のことが大好きで、ちょっかいをかける桃を海はいつも無視していて、それを笑って見たりしていた。海は桃以外には優しくて、わたしや妹が親に怒られて泣いているとき、涙を舐めてくれたり、寄り添って座ってくれたりした。

そんな海は身体の弱い子で、フケが沢山出たり、よくお腹を壊したりしていて、わたしが高校2年生になったときに、まだ10歳にもなっていないのに亡くなってしまった。学校から家に帰るときに、何気なく携帯を見たら、妹から「海が動かない」とメールが入っていて、急いで家に帰って、死後硬直している海を見て、大泣きした。

わたしや家族が、海が亡くなって泣いているのを、桃は遠くから見ていた。あれだけいつもちょっかいをかけていた海に近づかなかったから、きっと桃なりに何か察していたのだろう。

生き物というのは、ある日突然いなくなってしまうものだということを学んで、それまで以上に桃を大切にするようになった。わたしたち家族は、桃がいなければ海の死を、もっと引きずっていたと思う。学校で辛いことがあったとき、親と喧嘩したとき、なんとなく寂しい気持ちになるとき。桃を抱いていると、穏やかな気持ちになれた。

就職して辛い日が続いても、桃だけはいつもわたしの味方でいてくれた

大学を卒業して、わたしは大学病院に就職した。そこでは、夜勤のある不規則な生活、癖の多い患者、そりの合わない同期など、慣れない業務に体調を崩した。休職したけれど体調が戻らず、わずか半年で退職した。そんな自分が情けなくて、不甲斐なくて悔しかった。そんな中でも、桃だけがわたしの味方だ、という気持ちがあった。

その後、様々なことを経験して、わたしは再び、ある大学病院の外科に転職した。そこでわたしは、散々な目にあった。意地悪な先輩、高圧的な同期、理不尽な扱い。病棟側もわたしに言いたいことはあるかもしれないが、それにしても、納得のいかない扱いだった。

それでも頑張れたのは、桃のためだった。その頃にはもう15歳という年齢で、ヨボヨボになっているけれど「桃に何かおもちゃを買ってあげたい」「桃の誕生日には犬用ケーキを食べさせてあげたい」「可愛い洋服を着させてあげたい」「旅行に連れて行ってあげたい」と、どんな目にあっても、職場で泣いても、それだけを心の拠り所にしていた。桃がいたから、頑張れた。

だけどある日、その時は来た。2019年10月4日、もう、ほとんど歩くことも出来ず、ご飯もお水も自力で摂取出来なくなっていた桃に、夜、夜勤だった父親を除いたわたしと妹と母で「おやすみ」を告げて、寝た。

桃がいたから辛い時も頑張れていたのに…この先何を頑張ればいいの?

翌日の朝5時、母の「美緒、桃が亡くなってる」という声で目が覚めた。2019年10月5日。「成人式をやろうね」と言っていた桃が、15歳で亡くなった。ショックだったけれど、どことなく現実感が無くて、「仕事行ってくる」とその日普通に出勤した。そして家に帰り、朝と変わらぬ姿で横たわっている桃を見て、泣いた。

6日には火葬が終わり、納骨された。桃がいなくても頑張らなければ、挫けたら桃が悲しむと思ったが、無理だった。桃のために頑張っていたのに、理不尽な扱いにも耐えたのに、一体これから先わたしは、何を頑張ればいいのか。全てがどうでもよくなって、わたしは自らいのちを絶とうとしたが、未遂に終わった。

現在、桃が亡くなってから1年と少しが経った。今は新しい子をお迎えして、その子をめいっぱい可愛がっている。そして、寂しがりで甘えん坊な桃は、たまにわたしのところに遊びに来る。信じて貰えないかもしれないが、本当に来るのだ。もちろん見えないけれど、夜、布団に潜り込むと、わたしの上を歩いていく。その重さや、踏まれた感覚は、確実に桃だ。

わたしがいままで頑張れたのは、桃のおかげだ。もちろん、海のことも忘れていない。犬と人間、言葉は通じなくても、心を通わせることは出来る。ありがとう、桃。もちろん海も。ずっとだいすきだよ。また遊びに来てね。