体調を崩し、休職していた時期のこと。
スマホを見ていたらいつの間にか日が沈んで、短すぎる1日があっという間に消えてゆく。そんなことさえもうどうでもよかった。
何気なくTwitterに自分が今仕事を休んでいることをつぶやいた。それくらいしかもうできることがなく、何もしたくない時期が続いていたのだ。

すると、珍しい人物からDMが届いた。小学校入学前からの幼なじみの友人だった。
成人式で再会して以来のコンタクトだったので、驚きとともに覚えていてくれたということに嬉しい気持ちになった。そのメッセージをきっかけに電話で話そうとなった。

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久々ということもあって少し緊張していたが、電話から聞こえる声は当時と変わらず、地元を離れているからか余計に懐かしく感じた。声を聞いて安心した様子だった。
しばらく近況報告をしていると、彼女はこんなことを話し始めた。
「実は、私も今仕事を休んでるんだ」
彼女も就職して1年目、職場の人間関係で疲れ塞ぎ込んでしまい、うつと診断されたそうだ。
あまりにも自分と状況が似かよっていて、衝撃を受けた。
あの、何でもできて明るくて優しい男女関わらず人気者だった彼女からは想像できない事態だったが、それが故に抱え込んだり我慢し続けたりしたんだろうと、すぐに分かった。

お互いの状況を労いながら、彼女はこう続けた。
「この前makaronがTwitterとかnoteで書いてたことを読んだんだ。びっくりしたけど、でも身近な人に同じような状況とか同じように悩んでいる人がいて少し安心したんだよね」
この言葉を聞いた時の衝撃はずっと忘れることはない。
私の本音だらけのあんなに砕けた長ったらしい文章に共感したり勇気をもらったりする人がいるだなんて。

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昔から一方的なおしゃべり好きの私の話なんか、誰も、半分も聞いていないと思っていた。いつも私に捕まる人の退屈そうな様子に気付いてから、申し訳なくなってしまう。
私の声なんて誰も聞いていないし、聞こえていても雑踏のようにスルーされてしまうんだと本気で思っていた。それに加え、仕事を休み、自分なんて居なくても回っていく世の中を悟って失望し、塞ぎ込んでいたのだ。

そんな私の声が、言葉が、同じ状況にいる友人に届いて少しでも助けになっていたなんて信じられなかった。
私、自分が思っていること、感じていることをもっと発信して、もっとたくさんの人の力になりたい。
心を病んでいた私が心から人の役に立ちたいと思えたのだ。自分でも信じられなかったが、すごく気持ちが軽くなった。

コロナ禍になってなかなか会えなくなってしまった私たちの空白の時間を埋めるのに3時間では足りなかったが、それ以上にお互いにとって今後の希望の光が差した眩しい時間になった。

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私は、エッセイや自分のブログを書くときにいつも彼女の言葉を思い出して、画面の向こう側のまだ出会ったことのない人たちに思いを馳せる。

きっと同じ思いでモヤモヤしている人がいるはず。
私がまだ自分の中に隠していること、周りの人に言ったら変な目で見られるようなことも、きっと感じたことがある人だっているはず。
いなかったとしても、こういうことを思ったり考えたりしている人がいることを知ってもらえたら、少しでも世の中の色は変わるはず。
私の友人がそうだったように、私の言葉は誰かに必ず届く。

うまく綺麗な文章にはなっていないと思う。だから、読みにくかったり分かりにくかったりするんだろうと思う。でもそれは私が一番しっくりきている表現であって、嘘の無い言葉。だからそのまま伝わってほしいと思う。
私の感じ方を私にしか紡げない言葉で表現していこうと思う。

パソコンに向かって本音をたたきつける自分と、ブログやエッセイを書いている時間が私は好きだ。