文章を書くことは難しい。自分の頭の中に思い描いている情景や感情を、文字に起こして言い表すのはなんとも難しく、書く度に自分の語彙力の無さに、もどかしさを覚える。

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私は小学生の頃から、作文や感想文などを書くのが苦手だった。
特に読書感想文なんて、本を読んだ上に作文を書くなんてそんな面倒なことやりたくなく、そういうのはできるだけ避けてきた人生だった。
大学生になると、文系に進んだがゆえにレポート課題が多くなる。私にとっては地獄だった。

そんなことを思いながら、なんとか大学生活を送っているある日、よく関わりのある教授から「学生主体の出版物を作りたい。君も参加しないか」と打診があった。突然の提案に驚き、正直不安しかなかったが、経験という意味で参加を承諾してみた。

出版物の内容は地元の歴史に関することで、それについて調べたり取材したりして、記事を書き上げるというものだったが、やってみるとやはり難しい。
初めは600字程度だった。課題のレポートに比べたらマシだったが、取材したことを自分の言葉で再構成するのは、思ったより労力が要った。

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出来上がった原稿は、教授の同級生である編集者さんが見てくれた。あまり自信がなかったが、提出した数日後、特に訂正もなく「よく書けてる。このままでいいよ」と原稿を返却された時は、私の中で何かが湧き上がるように嬉しかったのを覚えている。

すると心のどこかで、「私って、思ったより文章を書けるのかもしれない」と思うようになる。たった600字の文章の添削で、そう考えるなんて自惚れていたとは思うが、その勘違いがのちに私の文章力を引き上げてくれたのだ。

たった一度のつもりで参加した出版物の執筆協力だったが、気がつくと2冊目、3冊目、4冊目……と重なっていった。字数も、初めは600字だったものが2000字、4000字と要求は増えていき、最後に作ったものは、1万字ほど書いていた。

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初めは、調べたり取材したりしたものをまとめるだけだったのが、英語での取材をすることもあり、取材内容を適当な日本語に翻訳して記事を書くなんてこともしていた。
当然その度に文章力は上がり、就職活動のエントリーシートは添削なしで提出し、それにもかかわらず全通したのが何よりの自信になった。

そんなふうに記事や、エントリーシートを書いていた時に得た感覚がある。
なにかしら文章を書く時、初めは書きたいことが、それぞれピースのようになって頭の中で散らばっている。それをひと繋がりの文にしようと熟考しているうちに、すべてが合致する瞬間があるのだ。

あの瞬間が最高に気持ちいい。
もはや、あの感覚のために文章を書いているのではと思うほどである。
特に、自分の意見を交えた文を書く時が最高である。考えていたことが文字に起こされて並んでいるのをみると、自分でも意識していなかった心の中が分かるかのようで面白い。そして、なぜか何度も読み返したくなる。ここまで来ると、かつて文章を書くことが苦手だった自分は、どこへ行ったのだろうと思う。

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言葉には無限の表現方法がある。それはきっと、難しい言葉を操れるようになるということではないのだろう。文章というものは、その人が今まで見てきたもの、経験してきたことから自然と紡ぎ出すものなのかもしれないと今は思う。

文章を書くことは難しいが、面白い。
だから私は文章を書き続ける。これからまた歳を重ねると、今とは全く違う言葉を織りなすかもしれない。それが楽しみだ。