わたしは、欠点ばかりだ。
小学生の頃は、“問題児を受け持つ”と言われている先生に長くお世話になり、よく呼び出されては怒られた。呼び出しは授業の時間が多かったから、授業を受けなくて済んで、ちょっとラッキーとすら思った。
中学校では、テストの日に学校を抜け出して、そのまま行方不明になった。親や先生から鬼のように電話がかかってくるから電源を切り、友達と近くの公園へ。正直その後のことはあんまり覚えてない。
中学在学中にピアスを開けて、「親からもらった体に云々、とかは言わないけど、流石に早い」と怒られた。もちろん勉強なんてできなくて、英語の成績に関しては5段階評価で1だった。

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小中学生の頃は、ピアノとお習字を習っていた。でも、特別上手なわけでもなければ、大会で大きな賞を取ったわけでもない。ピアノもお習字もなんとなく始めて、なんとなく続けて、ぬるっと辞めた。
ハマっていた吹奏楽のおかげで推薦をいただき進学できたけど、推薦とはいえわたしが入れる高校ということは、まぁそういうことだ。しかも結局全国には行けず、在学中の一番良い成績は“東関東大会金賞"だった。自分の好きな音楽を奏でる学校を選んだから後悔はないけど、輝かしい結果を残したわけではない。
そのまま音楽にハマり続けて入学した音楽大学では休学と復学を繰り返し、結局退学した。残ったのは、何の資格もない履歴書と、"退学"の二文字で締めくくられた学歴。

映画やドラマで観るような人生を送るつもりはさらさらなかったけど、もっと普通の人生にしようと努力すべきだったとは思う。平均的になんでもできたり、苦手分野があるならその分得意分野が優れていたり。まじで何もできなくて、自分がこの世で一番醜く見える。

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でも日本語って便利なもので、なんでも綺麗に上手に取り繕えるんです。今までここで紡いできた言葉は、欠点ばかりの個性を、少しでもマシに見せるためにわたしが必死に取り繕った言葉たち。

わたしってたぶん外から見ると、自分の歩んできた人生を受け止めて、リアルを、今をきちんと飲み込んでるように見えてる気がする。
いやいや、実はそんな前向きじゃないんです。そんな主人公みたいなメンタル持ってない。きっと両親も親戚も心のどこかで、人様に話せるような経歴じゃないと思っているだろうし、その考え方は間違ってないと思う。

接客業だからかな、最近よく同僚に「つっきーはトークが本当に上手だね」と言われる。自分の欠点を、どんな言葉を使って、いかに上手く隠すか、そればっかり考えてて、自然と上手くなりました。なんて答えるわけにはいかないけど、しんどいくらい自分が恥ずかしくて、それを必死に隠そうとしてトークが上達したのは事実。

周りは素晴らしく優秀に見えるのに、酷く醜く見える自分。自分の経歴を一番許せないのは、一番恥ずかしいと思っているのは、厳しく育ててくれた両親じゃない。間違ってないよ、恥ずかしくないよと自分を納得させたい。今後ももうちょっとここで、わたしを飾らせてください。