わたしは文章を書くのが好きなんだ、と自覚したのは、小学4年生の頃だっただろうか。
学校の図書室でなんとなく手に取って読んだアンネ・フランクの伝記に影響を受け、わたしもアンネのように日記帳を心の友として、毎日のできごとや感じたことなどを書き記そうと日記をつけ始めたのがきっかけだったように記憶している。
最初はただの習慣として続けていた日記だったが、小学校5年生になった頃から友人との関係に悩み始め、毎日のようにその苦しみや苛立ちを日記帳に書き綴るようになった。
そうしていくうちに、自分の気持ちを文章にすることがわたしにとっての何よりの慰めになっていった。
わたしにとって、文章を書くこと=気持ちを吐露し、自分を慰めることだった。
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あれから年月は流れ、26歳になった今も、基本的にそのスタンスは変わらない。
小躍りしてしまうほど嬉しいことがあったときも、死にたいくらい辛いことがあったときも、わたしはそれを文章にする。他の誰でもない自分のために。
そんななか発症した精神疾患(現在は寛解済みではあるけれども)の影響で家の外で働く自信を失ってしまったのをきっかけに、「時間や場所を選ばず、自分の好きなこと、得意なことを活かせる仕事がしたい」「文章を書くことを生業にはできないだろうか」という気持ちが芽生えてきた。
以前にもフリーライターの仕事をしていたことはあるのだけれども、当時請け負っていた仕事はいわゆるSEO対策にがんじがらめになった無駄に長いコラムを量産するもの。
おまけにガチガチに指定されたマニュアルに即した文章を書かなければいけなかったため、「ぶっちゃけ誰が書いても同じじゃない?」と思うような記事を書く毎日に早々に嫌気が差したわたしは、あっけなくフリーライターとしての活動を辞めてしまった。
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それからはまた趣味として(自己満足のための)文章を書く日々が続いていたのだけれど、初めての妊娠・出産をしたことで心境の変化が現れた。
これからこの世界で生きていく我が子のために、ひいては子どもたちのために、何かわたしにできることはないだろうか、という思いがこみ上げてきたのだ。
正直わたしには、我が子やすべての子どもたちに向かって「この国は安心して幸福を享受できる国である」と言ってやれる自信がない。
いつまでもよくならない景気、後回しにされる少子化対策や育児支援、若者が将来に漠然とした不安を抱かざるをえない現状。
わたしひとりの力でこの状況を打開することなど不可能だけれど、声を上げることはできる、と思った。
今までは自己満足のために文章を書いていたけれど、これからは子どもたちのためにも文章を書きたい、文章を書くことで声を上げていきたい、と。
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それで世の中を変えられるとか、大それたことは考えていない。
ただ手段は何であれ“声を上げる大人”の存在が、不満や苦悩を抱えた子どもたちに「こういうときは声を上げてもいいんだ」と勇気を与えられるかもしれない。そんな勇気の連鎖が少しずつでも広がっていけば、それはいつしか大きなムーブメントになりうるかもしれない。
そんな希望を胸に、わたしはこれからも文章を書き続けたい。