大学受験の日、私は生まれて初めて東北という地に足を踏み入れた。
乗り慣れない新幹線に乗って、参考書から顔を上げるたびに窓の外の雪が深くなっていったのが、なんだか恐ろしかったのを今でも覚えている。
あまりに馴染みのない景色に、もう帰って来られなくなるんじゃないかとさえ思った。
今思うと、受験のために高い浪人費や新幹線代まで手配してくれた親に感謝してもしきれない、身の引き締まる思いがするものだ。

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家計のためにも、自分が頑張ってきたことの集大成のためにも、国立に行って欲しい、と言われた。
だから受けにきた学校だった(結局私の進学先は私大になったが)。
大人になった今からすると、そんな動機で学校を受けるなと言いたくなるが、それが当時の私の心境のリアルだった。
応援してくれた家族のためにも何とか受からなきゃ、そのプレッシャーを抱えながら、会場にひとりで向かった。
雪が降りしきる中、もし受かったらここにひとりで引っ越して、ひとりで住むことになるんだよなあ、と他人事のように思ったのを覚えている。
あまりに想像し難くて、受験はもう数週間で終わるのに、その数瞬間後は何年も先のようだった。
そうして半分夢を見ているような気分で、受験は終わった。

帰り道、受験も全部終わったし、急ぐ理由も無くてのろのろと校舎を出て、せっかくだから、遠回りしてバス停に向かおうと思った。
東北はどこも冬は雪がとんでもなく降り積もって、雪かきが欠かせないのかと思っていたら、普段はなかなか降らないんですよ、と試験監督の手伝いをしていた学生らしき男性が言っていたのを思い出していた。

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世界には、私の知らないことがたくさんあるんだなあ。
日本でさえ、私の知らない街がたくさんあるんだなあ。
なんて生産性のない考え事をしていた次の瞬間、視界がひっくり返り、衝撃とともに私は空を見ていた。
雪に足元を掬われて、転んだのだ。
派手に尻餅をついて、そのまま仰向けに倒れ込むなんて、信じられなかった。
東京でこんな転び方をしたら、恥ずかしくてまともに歩けないだろう。
でも、そこには人ひとりいなかった。
灰色の空から白い埃のような雪が次々に落ちてきて、何だか心細くて恥ずかしくて泣けてきた。
私は何も知らない。
雪の日の歩き方も、自分の育った街以外のことも、そこにどんな人が住んでいてどんな人の暮らしがあるのかも。
こんな見知らぬ土地の、知り合いが誰もいないようなところで、調子に乗って寄り道して、転んで、ぐずっている自分はあまりにもちっぽけだった。
急に大人になるのが怖くなった。
私はこんなに無知で無力でちっぽけな人間なのに、世界のことなんて、知りたくない。
後数年で20歳だなんて、大学生だなんて、私には荷が重かった。

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でも、いつまでもここで泣いているわけにも、無様にひっくり返っているわけにもいかない。
その後は、立ち上がって、雪を払って、マスクで顔を隠して、何事もなくバス停に向かったのだろう。
未来が広がっていることが突然怖くなってしまったあの瞬間を、時々今でも思い出す。
あれから私は結婚して離婚もして、海外にも何度も行ったし、転職もした。
未来はたしかに無限大の可能性を秘めていて、どこまでも広がっているその様は、今でもたまに空恐ろしくもあるけど、随分逞しく、図太く楽しめている自分がいるなあ、と自分に自分で感心さえしてしまう。
私は成長した。
でも、成長したと思えるのはあの日の私がいたからだ。
成長したね、と思わせてくれるあの寒い日の自分に、10年後の冬を生きる私から、感謝とエールを送りたい。