私が変えたいのは「(性別)らしい」を廃止しようとする考え方だ。
セクシャリティに対する多様性が考えられつつあるこの世界で、「女性らしい」「男性らしい」という言葉はだんだんと失われていっているように思う。けれど、私はあえてこの「(性別)らしい」を使っていきたい。

というのも、私は「女性らしい」という言葉は曖昧な表現だが、割と気に入っている。淑女や紳士という言葉にも繋がっていく言葉だと考えているからだ。
私は女性らしくありたいと思うし、その言葉を堂々と口にしたいと思っている。

ただ、今回私が伝えたい「らしい」の位置づけは、従来の生物学的性別に対して周囲が強制する「らしい」ではなく、「女性らしい」「男性らしい」を自分の意志で選べるという前提である。

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セクシャリティに対して多様的に考えていくうえで、様々な言葉が無くなったり、言いづらくなっていったりしたと思う。特に性別に関するものはそうだろう。それらが一概に悪いとは言えないが、言葉そのものを無くしてしまうのではなく、運用を変えていくのはどうだろうかと私は考える。

今後、もしかすると自分の性別を自らで選べる時代になっていくかもしれない。そうであれば、同じように「女性らしい」「男性らしい」を選べる時代がきても良いのではないかと考える。もちろん、それは日によって変わってもいいと思う。
「今日は女性らしく、淑やかにしようと思うの」
「今日は男性らしく、あなたをリードしたい」
このような形で、今日はどの「らしい」気分なのかで、日々言葉を使い分けるのはどうだろうかと提案したい。

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「女性らしい」「男性らしい」の言葉は、曖昧な部分が多く、度々誤解を生むこともあるだろう。ピンク色のワンピースを着てピンヒールを履くのが女性らしいと考える人もいれば、穏やかな口調で品のある仕草をする人を女性らしいと形容する人もいる。

私はこの曖昧さが言葉の面白さだと思う。それぞれのらしさがあり、それをどうやって相手に伝えようかと考えることや、伝えてみようと挑戦していくことを楽しむ世の中になってほしいと思う。

私がこの「(性別)らしさ」の言葉から一番伝えたいことは、自分の持っているイメージを一般化して相手の意志を確認せず、否定したり肯定したり、何かを判断するのをやめてみてはどうだろうかということだ。
「(性別)らしい」という言葉に相手はどんなイメージを持っているのだろうか。今回はどのような意味で使っているのだろうか。そんなことを考えながら言葉を交わしていくのも悪い時間ではないと思う。

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今後、世の中は徐々に変わっていくのだと思う。言葉だって変化していくだろう。歴代の歴史からみるときっとそうだと思う。
新しい言葉が生まれて、それを当たり前に使う日がくるのだろう。それが、私たちが生きている間なのか、そうではないのかわからないけれど。
でも、現代であっても、たまには「いとをかし」なんて言わせてくれてもいいのではないだろうか。それを「死語」という言葉で片付けられたら少しだけ寂しいと、私は思ってしまう。

今後、時代はものすごいスピードで変化していくだろう。
そして様々なことが自らの意志で選べるようになっていくのだと思う。ただ、その中で、自分が使う言葉も自由に選べて、それを受け取った側はその人がどのような思いでその言葉を使ったのか考えられる、余裕のある時代になったって悪くないのではと私は考える。