百万円と聞いて思い出したのは、とある他愛も無い会話だった。
「宝くじで五億が当たったとしよう。何に使う?」
相手が唐突にこの質問を投げかけてきた。急に質問されたため、頭をフル回転させて五億の内訳を作る。三億は貯金で、一億で家を買う、残りの一億は……どうしよう、と。
頭に浮かんだこの考えを、小さな声でつぶやくように話すと、相手はやじを飛ばすようにこう言った。
「どの答えをしても、不正解ではない。今、自分が使いたいと思った方法で使えばよいのだから」
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その人は続けて言った。私のこの思考は、日本人にありがちな考え方で、手に入れたものを全て使おうと考え、ベストを探そうと考えすぎる、と。五億全てを貯金に回しても、それは正解で、使いたくなければ無理に使う必要はない、と。
確かに、と私は納得した。五億の内訳に頭を悩ませて、霧がかかっていた私の頭の中を、一瞬で晴らしてくれた気がした。
単純かつ自分の欲に忠実に考えてみると、百万円は迷わず貯金したい。
何に使おう、どんなことに投資できるだろうか、とも考えたが、まずは全額貯金したいというのが私の考えだ。
今の私には、百万円はとても貴重な財産になる。当面の家賃、生活費、娯楽も少しはできるという心の余裕にもつながる。
百万円は大きい金額でもあるが、ちっぽけなものでもあると感じている。夢が膨らむ数字だが、使ってしまえばあっという間に消える。長続きはしない、ひとときの夢でしかないように思えるのだ。
厚さにして1センチ。欲しい物を買っていけば程なくして消える。貯金をしていても、一年も持たないうちに枯渇する。とても儚いものなのだ。ここまで言っておいても、欲しいのには変わりないのだけれど。
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私自身、ここまでお金について考えるようになったのは、仕事をやめた経験があるからだ。
今の環境になるまでに、かなりのお金を減らした。環境を整えるためにお金は必要なのだが、減るとダメージは大きい。精神的に追い込まれ、もうダメだと思うことも何度もあった。ここまでに使ったお金が少しでも戻せるのなら、と考えると、貯金一択なのだ。
この貯金はプラスではなく、マイナスを減らす貯金と取れるだろう。私が取り戻したい金額はこんなものではない。
仕事をしていると、百万円は途方もない数字に思える。毎日働いてももらえるのは毎月20万程度。毎日カツカツに生きてやっとプラマイ0だ。これでは生活して行けず、なけなしの貯金はいつか底を尽く。もっと今より安定している状況を作りたくて、百万円はその担保にしたいと考えているのだ。
どんな使い道をしようと、私の自由。使わない選択肢を取ったとしても私の自由だ。使わないこともまた、百万円の使い道。使い切ることに夢を膨らませることも楽しくて明るい気持ちになれる。
一方で、貯金をして使うべきときに使う場合は安心感が大きい。自分には百万円があると思うと、幾分か心にゆとりを持って生活ができるからだ。
私のモットーは、楽しく生きること。楽しく生きるにはゆとりがなければいけない。百万円という担保が、私の生活にゆとりをくれて、人生を楽しむことができるのならば、それが私のベストな使い方である。使いたくなったら、そのときに使い方を考えれば良い。タイミングも合わせて、そのときの最善の使い方になるはずだと私は思う。
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これが五億なら、話は変わっていただろうか。貯金だけでなく、内訳のひとつにとんでもない買い物を入れていただろうか。どれも空想の範囲で、行動の正解はわからない。わかる日が来ることもないだろう。
しかし、共通して言えるのは、使わず貯金するという選択肢は必ず取る。その上で、使うべきときに必要な分だけ使うということ。
今まででいちばん現実的な話をしているかもしれない。お金には常に現実を突きつけられているからだろうか。それでも、今後もお金には現実的でありたい。百万円があることに夢を見るのではなく、現実を考えるほうが、私らしいと思うから。