「書くこと」は私にとってなんなんだろうと考えてみて最初に浮かんだのは、「生きる術」だった。

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書くことは、誰よりも自分のためになることだと思う。吐き出して、スッキリしたり、過去に書いた文章に励まされたり、自分を鼓舞して言い聞かせたり。
きっと、誰かに伝えたいと思って書くことばも、本当は誰よりも自分が自分に言いたいことなんじゃないか、とも思う。

書いて、書いて、書いて。
社会の荒波に飲み込まれて窒息してしまわないように。
会社というある意味宗教的な組織に自分が染まりきってしまわないように。
とにかく書いた。書くことで、自分が自分を見失わないようにした。

私が人生で一番辛かった時。無意識に自分が電車に飛び込まないか不安だったあの時。書くことで、ことばを、辛さを、苦しみを吐き出すことで、どうにか自分を保っていたと思う。電車を待っている時も、私はスマホに向かって文字を打ち続けることで、ギリギリ自分を保っていたのかもしれない。

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自分のために書いた文章が、思いがけず誰かを励ますこともある。誰かが一歩踏み出すことを手伝うこともある。
だから私は、自分の文章をネットの海に泳がせておくことをやめられない。

そして、自分のために書いた文章を読んだ人が、さらに私を励ます言葉をくれることだってある。
家族と喧嘩して感情的になりながら書き殴った文章をアップしたら、すごくたくさんの人からコメントをもらえた。共感してもらえたり、励ましてもらえたり。顔も知らない人たちだけれど、人生の先輩たちからもらえることばは、確実に私の癒しと勇気になってくれた。

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先日、この「かがみよかがみ」にアップしたエッセイを、リアルな友達と繋がっているSNSでシェアしてみた。自分の裸を晒すようで恥ずかしかったが、想像以上にたくさんの人からリアクションをもらえた。

驚いたのが、親しい友達よりもむしろ普段あまりコミュニケーションを取らない人からの反応が多かったことだ。もう3年くらい会ってもいない、連絡も取ってない先輩からリアクションが来た時は驚いた。なんとプロフィールまで飛んで全部の記事を読んでくれたらしい。

ネットで知らない人たちに文章をたくさん読んでもらって反応をもらうのも嬉しいが、私の昔を知っている人に読んでもらい、直接その人のことばで励ましてもらえるのは、また違う感覚で嬉しかった。
きっと、そのときもらったことばたちを一生忘れることはないと思う。

書いたものを世の中に公開するだけでも勇気がいるのに、知り合いに向けてシェアするのもさらに緊張する。正直恥ずかしかったけど、そのことばを読んで、ことばで返してくれる知り合いが数人いるだけで、勇気を出す価値があったなと感じる。

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自分のために、書く。自分が救われる。
そのことばが、思いがけず誰かを救う。そのことばを読んだ人が、次は私に新しいことばをくれる。

だからやっぱり、私にとって書くことは生きる術で、自分と人とのコミュニケーションで、癒しで、勇気なのだ。
私はそんなふうに「書くこと」で、生かされている。
これからも「書くこと」で、何があったとしても、この世の中を生き抜いていく。