公共の場でマスクを着用することが当たり前のようになってから、私はそれがあまりにも当たり前のようになっていることに疑問を持ちながら生活していた。

私の住むヨーロッパではあまり同調圧力がない代わりに国が規則を強制していたため、外出制限もロックダウンという形、マスクの着用に関しても公共の場での個人の判断での行動はほぼ完全に制御されていた。
だから疑問を持ちながらもマスクを着用し続ける必要があって、正直なところ身体的にも精神的にも息苦しさを感じることがあった反面、マスクによって解放されたこともあった。

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笑顔には多くの人がポジティブなイメージを持っていると思う。
確かに笑顔には実際にポジティブな側面があるし、以前の私はポジティブなものばかりだと思っていた。
しかし、それは過信だったのだ。

笑顔であれば、他者に良い印象を与えることができる。
ただ、それは自分の中身に充分に自信が持てなかったり、他者による評価に敏感になり過ぎている時にする誤魔化しであることも少なくない。

また、現代の社会全体がどうしてもまだまだ目に見える部分ばかりに判断の基準を置いてしまうようなところが多く、コミュニケーションにおいても私達は過剰な表情やリアクションを強いられがちであるようにも感じられる。

その結果、本当は誰がどんな人なのか、意識的にも無意識的にも恐る恐る探り続ける人間関係も多い。
そんな風に、あまりにも人々が自らの本質を見せることのできない現代の社会は、まだまだ本質的な社会ではないのだと思う。 

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そんな社会の中で生まれ育った私はいつの間にか、楽しさや幸福感から自然に溢れる笑顔よりも、不安から創り出した仮面のような役目を果たす笑顔を貼り付けていた。
それはコンプレックスを隠す為にする厚化粧のようでもあった。

マスクはそんな厚化粧を毎日する苦労から私を解放してくれるのと同時に、私に"素顔の私"と向き合うことを促し、本当は厚化粧などしなくてももっと自然に他者に見せられる私の姿や在り方、他者や社会の視点ではなく私の基準で見る私の魅力にフォーカスを当てることを学んだ。

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規制が解除されてからマスクを外した時、私は素顔の私だった。
とは言え、これまでずっと貼り付けてきた笑顔で自分を誤魔化さずにコミュニケーションをとることは不安になることもあるし、時々やっぱり貼り付けてしまうこともまだまだある。
厚化粧だった頃とは相手の反応が違って、傷つきそうになることだってある。

それでも素顔でいようと思うのは、それによって私の外見よりも内側にあるものに引き寄せられる人々が自然と周りに集まり、より本質的な人間関係が築かれるから。
身の回りの人々の人数は多ければ良いという訳でもない。それは決して痩せ我慢のようなものではなく、私にとっては数よりも深さや密度、質こそが重要なことなのだ。

もっと言えば他者との関係の前に自分が自分とどれだけの質の関係を築けているかということが先に重要かもしれない。

多くの人にとって生きやすいとは言えないこの世界で、そして私達にとって忘れてはならないことを忘れてしまいやすいこの社会の中で、私はどれだけ自分の本質を生きて行けるだろう。
それは私が今を生きる中で最もエキサイティングな問いの一つであり、この人生での学びの密度を高める重要な成分でもある。