本を読むのも好きだけど、漠然とずっと「ことば」が好きだった

漠然とずっと、「ことば」が好きだった。
話し出したり会話したりする年齢が特別早かったわけではないけれど、多少の自我が芽生えてから、基本的には無意識にことばを好きでい続けていた。
幼稚園で、みんなの前で紙芝居の文章を読むのが好きだった。絵と一緒に書いてあるから、漫画の中の知らない言葉がなんとなく「わかる」感じが好きだった。知らない言葉を聞くと「なにそれ?」と思ったし、自分の中にことばが増えていくのがおもしろかった。

本を読むのも好きだけど、読書が好きなのではなくて、ことばが好きなのだと思う。子供の頃、自発的に読んでいたのは漫画で、本は親に「漫画ばっかり読んで!」と叱られて、泣きながら絵本を手に取ったのがファーストコンタクトだった。それでも今に至るまで緩やかに読書習慣は続いているわけだから、心を鬼にして我が子を叱ってくれた母には感謝しなければいけないだろう。

小学5年生のとき、初めて小説を書いて完成させた。自分で0から考えたものではなく、その当時ハマっていたPCゲームのストーリーを自分なりに文字に起こしつつ、ちょっとアレンジを加える程度のものだった。11歳のわたしはまだ、二次創作という言葉を知らなかった。
小学生にして中二病炸裂の世界観だったし、少ない登場人物の中であり得ない数の恋愛カップルを乱立させるし、全くの独りよがりでしかなかったけれど、それでも1つの物語を書き上げたという事実は、長くわたしを支える密かな自信になった。

成長しても書くことは続け、ことばはわたしの自己愛が現れる場所に

典型的な文系の学生で、国語と英語の成績はそこそこ良かった。英米文化への憧れはそんなになかったが、単に日本語以外のことばがこの世に存在することがおもしろかった。「意味不」「すげーポエムじゃん」と周りの生徒が茶化す中で、短歌や俳句の授業では一語一語にこっそり胸を躍らせた。

漢文を中国語で読んだらどうなるの?
昔の人が使っていたことばはどうして今のことばと違うの?
文法はどうしてこんなにシステマティックで、どうしてこんなにいびつなの?
オーウェルの『1984年』に出てきたように、人はことばを奪われると何も考えられなくなってしまうの?
そういうことが知りたくて、そういうことが考えられる大学に進学した。

小説を書くのは小学生以来していなかったが、誰にも読ませない日記を書いたり、短文を書き付けたりするのは漫然と続いていた。
誰に見せずとも、自分の中の何かがいい感じのことばになるのは快楽だった。
ことばはわたしの自己愛が最も強く現れる場所だと、大人になるにつれ徐々に気づき出していた。

新卒で就職して精神的に苦しい日々が続いた頃、嘘のようにポコポコと短歌が作れるようになった。表現とか他者からの見え方とかを気にすることのない、拙いけれど我ながら切実で真に迫った短歌だった。
ことばを内から外に吐き出すことでバランスを取っているんだと気がついた。

投稿に「いいね」をつけてくれた人がいる。温かい幸福が広がった

ある日、友人から「かがみよかがみ」を紹介された。
自分と同世代の人たちの、それぞれの人生を切り取った文章はかなり読ませるものがあった。支えになったし、単純におもしろかった。短文で自分の内面を切り出すのが難しく感じていた時期だったこともあり、自分もこの人達の一員になれたらと思って、ポツポツと書いては投稿するようになった。

長文で表現することに抵抗がなくなったからだろうか。わたしは小学5年生以来、17年ぶりに二次創作に手を出した。
匿名で某所に投稿して、「いいね」的な反応が2、3件あった。2、3人でも、「いいね」と思ってくれた赤の他人がいる。あの頃、独りよがりな小説もどきを書いていたわたしが、17年後に少なくとも誰か2、3人に届く小説を書けるようになった。
そう思うと、温かい幸福がじんわり胸に広がる。

ことばへの愛は、わたしを急激に変えることはなかったけれど、緩やかに緩やかにわたしを変え続けてきた。人生を導いてくれていると言ってもいい。
苦しかった新卒の職場を離れ、今は多少ことばに関係する仕事に就いている。このサイトを紹介してくれた友人には「50歳くらいになったら短歌の同人誌とか出そうかな?」と軽口を叩いている。それが冗談で終わるかどうかは、今後のわたし次第である。

愛の定義をわたしは知らない。けれどなんとなく、恋と違ってそれはいつまでも変わらず、執着と違って自分も周りも幸せにするものだというイメージがある。
わたしにとって「ことば」が、ずっとそういうものであればいいと願いながら、この文章を書いている。