白が舞い落ちる夜、空っぽの手は温かかった。
手を繋ぐことが好きだった。
腕を組むことが好きだった。
抱き着くことが好きだった。
彼と触れ合うことが大好きだった。
彼の低い体温が心地良かった。
いつからだろう。手を繋がなくてもいいかな、なんて思い始めたのは。
◎ ◎
街路樹の下に茶色のカーペットが敷かれる季節のことだった。
学校からの帰り道。私は彼の手をポケットから引っこ抜く。
「手、繋ご」
そのまま有無を言わさずに、彼の手を握った。
二回りも大きな手の平は、冷たくて仕方がなかった。私と合わせると親子とか兄妹に見えてしまうような、男の人の手だ。
「あったか」
彼が言う。
「冷たいね」
私が笑う。
「冷たくて、握るのを躊躇う」
「それなら離せばいいじゃん」
「嫌だ」
握る力を強くする。君の冷たさを感じていたかったから。
「それならカイロ持ち歩かなきゃ」
応えるように私の手を包む。しっかり手入れされたスベスベとした指が、夜の風から守ってくれた。
サクサクと落ち葉を踏む音が重なる。
頭一つ分も身長は違うのに、歩幅も笑い声も同じだった。
冷たかったけど、寒くなかった。
◎ ◎
君が変わったのは、街路樹を飾るものが葉から電飾になったくらい。
私はいつものように、彼の手をポケットから引っこ抜く。
彼の大きな手を半ば掴むように握った。
「やっぱり冷たいね」
「冬だから」
なんて言う彼に、「いつものことでしょ」と私は返した。
それでも離す気はないよ、と伝えるように手に力を込める。
君の体温と混ざり合って、一緒に溶けるような気分に浸りたかったから。
でも、君の手は、ぶらんと重力のままに垂れ下がる。
手入れされた指先は全部、コンクリートに向けられている。
指の隙間を風が通り過ぎていく。
「握り返さないの?」
聞いちゃいけなかった。
でも、聞かなければいけないって思った。
「こっちのほうが楽だから」
彼は素っ気なく答えた。
寒さがコートの袖から入り込んで、全身を撫でまわしたような気がした。
無理やり氷を飲み込んだみたいに、胃の辺りに固く冷たいナニカが落ちたような感覚に陥った。
暗闇に一人放り出されたような孤独感。
たった一言と思われるかもしれない。
でも、その「たった一言」は私から温もりを奪い去るには十分だった。
「そんなこと言わないでよ」
声は少しだけ震えていた。
だって気温が一桁だったから。風に乗った寒気が肌を刺してきたから。
きっとそう。
そうじゃなきゃ、納得出来ない。
手を繋いでいて寒かった。
冷たくて、寒かった。身も心も。
その日は全部嚙み合ってなかった。
ヒールの高さ分、歩幅が合わなくなっていった。
笑うタイミングがずれていた。
視線の高さが、決定的な違いを見せつけられてるように思えた。
この小さかった「ずれ」が元に戻ることはなかった。
◎ ◎
雪が風と混ざり合うとき、私の指はのびのびと動いていた。まるで、全てのわだかまりから解放されたように。
今まで辛いものを握っていたのかと錯覚させるほどに。
でも、そんなことはない。
ちゃんと楽しくて、嬉しくて、幸せだった。でも、心細くて、寂しくて、寒かった。
掴んでたものを全部、心にしまい込んだ。
涙と一緒に飲み込んだ。
「もう寒くなることはないのかなぁ」
なんて心の中で呟いた。
手の平に滑り込んできた雪は冷たさを届けた後、すぐ溶けてなくなった。
今の私は手が空いている。
何にも掴んでいない空っぽだ。
いつか幸せを手にするまでは。