冬が訪れるたびに悩まされる末端冷え性。幼少期から冬は毎年、霜焼けに悩まされていた。
対策や体質改善の努力をしたおかげか、昔よりはほんの少し良くなったけれど、それでもこの辛さからはそう簡単には逃れられなかった。
霜焼けになると思い出すのは、小学生の頃の冬。確か1年生の時。今より霜焼けの症状が酷く、祖母に手当てしてもらっていた当時のことが蘇ってくる。
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真っ赤な両手に痛々しく腫れたその様は、まるで焼き上がったばかりのクリームパンのような形をしていた。元の小さな手の面影は皆無で、指を自由に動かすことができず、日常生活も思うようにいかなかった。手をお湯に浸すたびに、滞っていた血液が蠢くような感じが手の平中に伝わり、それによって痛みに声を荒げていた。
ただの霜焼けにしては酷い症状だと、祖母が心配して近所の病院へ向かうことに。診察の結果はやはり霜焼け。辛いかもしれないが、お風呂でしっかり手の平をマッサージするように、とのアドバイスと、痒み止めを処方され帰宅した。
絹の手袋をして手を温めながら保湿し、1日でも早く良くなるようにと、祖母が一生懸命に私の手をマッサージしてくれた。痒さと痛みで夜は眠れず、泣き叫ぶ毎日だったが、それでも祖母は嫌な顔一つせずに、私の手をしっかりと握り温めてくれた。
学校に行く際も手袋は欠かせず、担任に相談し、授業中もずっと着けていた。クラスメイトも皆んな優しく、そのことに不審な目を向けたり、冷たい言葉を放つ人は1人もいなかった。
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あの頃は幼いながらも本当に辛くて、毎年冬が大嫌いで、「こんなに辛いなら、誰か私の両手を切り落としてよ」なんてことを思ったりもしていた。毎日襲う痛みと、自由に動かない指先は、それほどまでに私を追い込んでいたのだ。
しかし、そんな中でも祖母はよくこう言っていた。
「いつか必ず良くなるから。大丈夫」と。
どんなに私がネガティブなことを言っても、泣き叫んでも、祖母は絶対に私にキツく当たることはなかった。
祖母が他界して今年で10年。あの頃より霜焼けはマシになったが、祖母に握ってもらっていた手の平の温かさが懐かしく恋しい。
一緒にお風呂に入ったこと、マッサージしてもらったこと、1人で眠れず添い寝してもらったこと、早く治るように色んな薬を買ってきてくれたこと、全部私の為にしてくれたことだ。
私は何か祖母に恩返しできただろうか。あの時のことに対して、あの日の私はちゃんと「ありがとう」と言えていたのだろうか。尽くされることを当たり前と感じ、感謝する余裕がなかったあの日の自分。もう少し大人だったら、もっと素直に言えていたのだろうか。
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今なら思う、人を思うことや無償の愛がどれだけ偉大なことかを。
もう直接「ありがとう」を言える機会は無くなってしまったけど、私はこれから先も冬になるたびに祖母の温かさと大きな愛を思い出すのだろう。小さな手に宿してくれた、家族の温もりのことを。