人生2度目のフルマラソン。それは留学先のアメリカでの初海外レースでもあった。
確か11月だったシカゴは、真冬のように骨にも染みる寒さだった。
朝6時の気温0度下回る氷点下の中、それでも若さが勝ると思っていたのか、タンクトップに短パン姿、いつものレースの格好で私はスタート地点に立っていた。
寒くて寒くて寒くて、手足の感覚はスタート前から既になくなっていた。

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スタートの合図でレースが始まると、硬いアスファルトに凍った足裏をペタペタ叩きつけるようで、その足から伝わる振動が「痛い」と脳に指令を出していた。
「寒くて・痛い」、最強の組み合わせの中、吐息で白く見える目の前の呼吸に集中するようにしていた。
マラソンコースは何もない、畑に囲まれた田舎道。
ランナーもトータル20人居たかな……というくらいの超ローカルなマラソンレースだった。

なぜかその日は食べ物が喉を通らず、何も口にしないままスタート地点に向かった。
応援に来てくれた唯一の彼氏に、笑顔で「行ってきます!」と、一言かけた。
超ローカルな田舎のコースだったからか大きな交通規制もなく、彼は車で先回りして私を追いかけてゴールまで励ましてくれた。

気候や補給・寒さでメンタルがやられたり、色んなことが重なって、ハーフ地点を過ぎる頃には1番苦手な単独走になっていて、ひたすら「寒い」と「辛い」しか頭の中にはなかった。

30キロ過ぎたあたりでは、あと残り10キロにもかかわらずパワーが出ずに、体に力が入らない感じでフラフラ走るようになったのを今でもよく覚えている。
「もうタイムはどうでもいいから、とにかくゴールしたい!」の一心だった。

いくら走っても体温は温まらないし、体に力は入らないし、エネルギー・水分不足で脱水もしていたのかなんとなく目の前の視界がフラフラして、走っているはずなのに前に進まない変な感じ。

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ラスト5キロは本当に記憶にない。
どうしても思い出せない不思議な感覚。
なんとかゴールをすると、彼が抱きしめて支えてくれた。
それが本当に温かくて、嬉しかった。
朝10時前でも気温はスタート時とほぼ変わらず、氷点下ではなかったかな……というくらい。

マラソンレース中、ひたすらただただ寒かった中を乗り越えて、やっと触れられた人肌の温かさ。
ゴールして嬉し涙が止まらなかった。
「なんて、人って温かいの」と。

その時、改めて走ることでの生き甲斐や、マラソンが辞められなくなる五味、私は人に支えられて生きられているという、人間の本質的なことを強く身体いっぱいに感じた。
今でも忘れることのできない、私の寒かったけど温かい記憶。

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その後、その苦い経験を教訓に、冬のランニング時の服装には十分自分の身体や気持ち・感覚と相談して選ぶようになった。
まずは自分で自分の出来ることを、やり尽くそうと。
この寒かったけど温かい記憶は、いつまでも私の心の中に生き続けている。