「クリスマスなんてキラキラしたイベント、大っ嫌い」
私の心がこんなにも酷い言葉でいっぱいになる、それがクリスマスという恋人たちの日である。
恋人と過ごさない過ごせない人を卑下するこの風潮が苦手
どこもかしこも恋人や家族と仲睦まじく笑い合い浮かれ楽しんでいる……その光景がシングル女性にとっては心にザクザクと矢が刺さるように辛く寂しい。普段無関心な道行く人たちも、この日だけは気になって気になって仕方ない。
そんな私も、クリスマスだけは独りで過ごしたくないと、この時期目掛けて出会いを探すようなこともしたことはある。
だが、クリスマスの為だけに作った恋人など破局も早く、別れた後に虚しさが襲うと知って今はそれも諦めた。お互い都合の良い穴埋め要員なのだから。
そしてクリスマスを恋人と過ごさない、過ごせない人を卑下するこの風潮がどうしても私は苦手だ。所謂「勝ち組・負け組」判断を知らず知らずされるのだ、クリスマスごときで。
恋人がいる・見つかった人は勝ち組で、独りで過ごす人は負け組……正直おかしいと思ってしまう。
貴方も一度シングルになった時に街路樹でも歩くといい。恋人を連れた女性たちのニヤリと含みを持った勝ち誇った様な笑みを体感することが出来るだろう。
それ故に私のクリスマスの思い出は、どんなに素敵な夜を過ごしても、どんなに好きな人と過ごしていても、どうしても良い思い出にはならない。この表と裏が顕著に表れるクリスマスというイベントを好きになるには、私の子供の頃のコンプレックスを克服しないと無理だと思う。
子供の頃のクリスマスの記憶も、今の気持ちも。本当は変えたい
私の家庭は今流行りの言葉で言う「ワンオペ」子育ての家庭だった。
サンタさんのプレゼントも母が用意し、料理も何もかも母が準備を行っていた。大変だっただろう……それを子供ながら可哀想だと思っていた。何もかも母が家事をこなすのに父はクリスマスの用意もしないで……物心つくころにはサンタさんのプレゼントを用意しているのも母だと気付いた。
サンタさんのプレゼントに高額なものがあると母を心配し、時にはプレゼント自体ない時もあった。きっとプレゼントに回せるお金がなかったのだろう。
父は母に生活費をあまり渡さない人だったということを後々母から聞いた。だから私にはクリスマス付近の母が気が気ではなかった。
この子供の頃のクリスマスを経験してしまうと、素直にクリスマスを素敵なイベントと思うことがどうしても私には出来ないのだ。
子供心ではあるが、母が苦労する日と私は思っていた。故に今のクリスマスに対する考えもどこか歪んでしまっている。子供の頃のクリスマスの記憶も今の気持ちも本当は私自身変えたいと思っている。
クリスマス仕様にライトアップされた街路樹やクリスマスツリーを見て、素直に「綺麗だね、素敵だね」と愛する人と共有したい。美味しい料理やケーキを食べて喜びあいたい。互いを思ってプレゼントを贈りたい。
来年こそは、素直な心でこの「クリスマス」を楽しめますように
これは私の憶測にはなってしまうのだが、心から愛する人を見つけた暁には、クリスマスを好きになれるのではないかと考えている。
相手の喜ぶ笑顔を想像し準備する喜びを、綺麗な街路樹が冬の夜空に一段と映えることを、道行く人たちが楽しそうだと素直に思えることを……素直な心で楽しめるのではないかと思っている。
本当にこの方法で私の歪んだ気持ちが変わるのか分からないが、可能性がないとは言えないのだから素敵なお相手を探す旅に出ないとなと思う。
もう20代も残り数年。
心からクリスマスが素敵なイベントだと思いたい。
歪んでしまった私のクリスマスに対する気持ちを正し、クリスマスは素敵なイベントなんだと教えてくれる心優しき恋人が出来ますようにと、今年ばかりはライトアップされた街路樹を眺め祈る。
来年こそは素直な心で、この「クリスマス」を楽しむことが出来ますようにと。
素敵なクリスマスを。