笑顔でさえいれば、人生どうにでもなる。
私はどちらかといえば、そういった言説を、馬鹿にして過ごしてきた側の人間だ。うまく笑うことが出来なくて、笑顔でいることに価値を見出せなくなった側の人間とも言える。
たった24年間の人生のなかでも、笑顔なんかじゃどうにもならないことがたくさんあった。
同級生にバカにされた運動神経。
見知らぬ人に揶揄された顔と体型。
浪人しても受からなかった大学受験。
落とされ続けた就職活動。
ありがちな挫折だけれど、自分の無力さを思い知らされた。
これらのことを経験する度に、私は思っていた。
結局人生のほとんどが、生まれ持った能力や運に左右されるーー。
この考えは、今も別に変わったわけではない。
けれど、このマスク社会になってから、変わったことが1つある。
それは、多くの時間を笑顔で過ごすようになったことだ。
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1人で道を歩いているとき、電車に座っているとき、会社の階段を上っているとき。マスクの下ではいつも、笑顔を作っている。特に楽しいことがなくても、なんなら少し悲しい気持ちのときでも、口角をクッと上げるようにしている。マスクが隠してくれるから、周りに不審がられることもない。
なぜこのようなことをしているかというと、笑顔でいれば気持ちが上を向くような気がしてきたからだ。
元々の卑屈な性格が変わったわけではないから、こんなことをしている自分を、嘲笑っている自分もいる。そんなことして何になるのだ、と。
しかしそれでも、ねぇ、おかしいよね、なんて、もう1人の自分に笑いかけるような気持ちで、口角を上げ続けている。
この数年間、行きたかったのに行けなかった場所、したかったのに出来なかったことが色々あった。特に、大学の卒業制作展が中止になったときは、非常に悲しかった。誰のせいでもないことなだけに、やるせなさが込み上げてきた。
けれど、たとえ作りものであっても、笑顔を浮かべてみると少し前を向けた。「まぁそのうち、もっと素敵なことが待っているさ」と、悲しい現在ではなく、あるかもしれない未来のことを考えられるようになった。
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だからといって、状況が大きく好転したわけではない。卒業制作展のことを思い出すと、今でも悲しさが胸に広がる。それ以外のことでも、急にものすごくカッコイイ彼氏が出来たりとか、何かで賞をとったりとか、宝くじが当たったりとか、そういったことは一つもない。
それはそうだ。私自身の能力や過去は、何も変わっていないし、変えられないのだから。きっと周りの人は、以前の私との違いになんて全く気がついていないだろう。
それでも、すこしでも前に進むために、私は今日も笑顔を作る。同じ能力値の自分でも、前向きな自分と後ろ向きな自分とで比べたら、きっと前者の方が強くて素敵なはずだから。
いつか、マスクをしなくても良い時代がやってくるとしたら。そのころには、作らずとも自然な笑顔を浮かべられる人間になれていたらいいな、と思う。