冬の思い出はいくつもある。
スキーやスノーボード、アイススケートなどのウィンタースポーツに挑戦したり、イルミネーションやカウントダウン、初詣みたいな冬ならではのイベントを楽しんだり。
いろんな風物詩を家族や友人、パートナーと毎年少しずつアップデートしながら思い出を塗り重ねている。
でも風物詩の中には、自らが参加できる機会はとても限られているものも多くある。
その一つがセンター試験。一度切りのあの時間が、上書きされることなく今も強く残っている。
大変だったけど、きらきらとした青春の思い出が。
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高校生活は偉大だ。一度きりの経験が連続する特別な時間。
今思えばその時間を、もっと有効活用するべきだったと感じる部分も、過ぎてしまえばもちろんあって、できることならやり直したいなんて考えたこともあるが、無駄に過ごした部分も含めて、大切な時間「青春」だったのだろう。
そんな濃い濃い高校時代の中でも特に冬の思い出が詰まった時期は、高校生活最後の冬、華のセブンティーンで、LJKのブランドを謳歌しつつ、受験戦争の真っただ中にいたあの頃。
国公立至上主義が色濃い地方の進学校では、センター試験を受けない生徒はほぼ居なかったし、大学受験生は皆がみんなセンター試験では当たり前に全教科受けるとばかり思っていた。
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0時限目とも称される朝の補習が8時前から始まり、1~6時限目を終えた後、放課後補習を2コマ受けて、ちょっと自習してから塾の授業を受けて、深夜徘徊の補導ギリギリ23時には帰宅できるようにと時計を気にしつつ夜まで勉強漬けの日々。
二度目は欲しくない経験ではあるが、当時はそれが受験生の当たり前だと信じていたし、楽しんでいた自分もいた。十代のエネルギーは計り知れない。
勉強漬けな日々の中でも、休み時間には友人とたわいもない会話をして、将来について黄昏て、未来に希望を持ちながら、今をとても輝かせていた。
受験が終わったら髪を染めたい、1人暮らしを始めたら家具にはこだわって、バイトもしてみたいし、留学もしたい、そんな話を何度も何度も繰り返した。
そんな希望を抱いて、勉強に明け暮れた日々を過ごして向かえる、センター試験。
「受験は団体戦」の実感を持った2日間だった。
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1月の中旬、何故か毎年やけに寒くなり、雪の舞うあの日。
今はなきセンター試験の日、私は高校に集合して、学年全員で歩いて会場に向かった。
緊張した面持ちで集合しつつも、向かう道中に友人と口頭で問題を出し合ったり、談笑したり、わきゃわきゃと徐々に盛り上がった数百人が会場に集団で入る。
地元1位の進学校の生徒数百人による笑顔での団体入場は、どう考えても威圧感の塊だった。
もし私がここの外に居たら、違う学校の生徒だったら嫌だっただろうなと、身内で良かったと、自分たちがチームであったと感じた。
「受験は団体戦」と「受験生0学期」は教師の妄言とばかり思っていた私だったが、学校や周囲の生徒から受ける影響は、感受性が豊かな高校生頃には特に大きかっただろう。
周りの水準が高いと、このぐらいでいいかと思う自分の水準も上がる。
そうやって、互いに勉学を努めさせていたのであろう。
寒すぎる冬の気温のせいか、そんな風に少し冷静な気持ちを持った日だった。
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センター試験後はそれぞれの目標に向かい始め、センター試験のような分かりやすく共に向かう先ではなくなったが、それでも、大学入学という同じゴールを見据えて動く、友人の頑張りが好影響を与えてくれた部分も多かった。
夜遅くに塾から出て、コンビニの肉まんを食べながら、話した日が懐かしい。
大学生になって、社会人になって、人生の歩みを進めていくと忘れてしまうことも多くなるが、この時期はきっと忘れられないかけがえのない瞬間だったし、学生生活を終えて、社会で働くようになった今の私にも糧になっていると感じる。
また、こうして改めて振り返って思うのは、若いっていいなって単純なことと、自分がどうなりたいと思うことも大事だが、周りにどんな人がいるか、どんな人がいる環境に入るかもとても大切であることだ。
自分の今の環境は好きだし心地は良いが、果たして、目指すところに対して適切なのだろうかと少し考えてみようと思う。