2020年頃から猛威をふるい始めた新型コロナウイルス。
ソーシャルディスタンス、手指消毒、検温、テレワーク、巣ごもり需要……生活は大きく変わったけれど、その最たるものが「マスク」だと思う。

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流行当初は「メイクが崩れるから嫌だな」とげんなりしていたマスクも、今やすっかり当たり前のものとなった。海外ではマスクをしている人の方が少ない国もあるらしいが、日本ではまだまだ多くの人が顔の下半分を隠している。コロナ禍の間に、隠し方のカラーバリエーションもずいぶん豊富になった。
メイク崩れ以外にも、表情が分かりづらい、声が通りにくい、夏は暑い、といったデメリットが、マスクには数多く存在している。他にもまだまだあるかもしれない。
ただ、マスク生活に慣れ始めたあるとき、私は気づいてしまった。
マスクの大きなメリットに。

それは、「歯並びの悪さがバレない」ことだ。
私は、恥ずかしながら歯並びが尋常じゃなく悪い。上も下も、特に前歯の並びがガタガタだ。だからこそ口を開くと目立つ。
おかげで写真を撮るときににっこり笑うことができず、いつも私は口を閉じて微笑むスタイルだ。ただ、口角だけをふんわり自然に上げる技は意外と高難度で、何とも言えない微妙な表情で映る私がそこにはいる。
そんなこともあって、そもそも写真を撮られること自体あまり得意ではなかった。

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歯並びが悪くなってしまった原因は自分にあることがわかっているから、誰も恨めない。恨むとしたら、乳歯がぐらぐら揺れ始めたことに必要以上に怯えていた幼少期の私自身だ。
下から新たな永久歯が生えてきた証だから、さっさと乳歯を抜いてしまえばよかったものを、私はそれができなかった。土台が不安定になった乳歯とどんどん勢力を増している永久歯をどう取り扱っていいのか分からず、気づいたときにはもう手遅れ状態。永久歯は歪んだ生え方をしてしまい、ぽろりとようやく外れた頼りない乳歯が、物哀しさを増長させた。
当時はやっと乳歯が抜けてくれたことに安心しきっていたものの、程なくして自分の歯並びが良くないことに気付き始めた。でも、これもまた手遅れだ。

歯列矯正の存在は知っていたけれど、お金がかかることもまた子ども心ながら理解していた。しかも自分のせいで歯並びが悪くなってしまったというのに、「矯正したい」なんて口が避けても言えなかった。そもそも私は、親に何かを主張するということができない子どもだった。

ネットで「理想の女性に求める条件」といったページを見かけたとき。そこに「歯並びが綺麗な人」と書かれていたとき。友人が自分のチャームポイントとして「歯並びの良さ」を挙げていたとき。職場の同僚に「歯、大丈夫?」とうっすら笑われたとき。
事あるごとにコンプレックスが疼き、無意識のうちに私は口をきゅっと結んだ。

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でも、マスクをしていれば、どんなに歯並びが悪かろうが関係ない。
食事中は外さなければいけないものの、あくまで食べているときだけ。たとえば友人とランチに行ったとしても、食前・食後はマスクをつけたまま談笑できる。歯のことを必要以上に気にしなくていいのは、ずいぶん気が楽だった。

すっかりニューノーマル化しているマスク。
でも、そんなニューノーマルもいつか終わりを迎える日が来るのではないかとも思う。「脱マスク」という言葉も最近はちらほら聞くようになった。現時点ではマスクをしないで出歩く自分の姿が想像できないけれど、5年先、10年先とこの生活が続くのかと聞かれるとそれもまた首を傾げてしまう。

とはいえ、もしコロナ禍が明けたら。人々が、マスクをしていなかったかつての生活に戻るとしたら。
マスクを手放せる自信が、正直私にはあまりない。