初めはすぐに収まるだろうと思っていたコロナ禍も、始まってかれこれ三年経つ。飲み会に行く機会はぱったりと途絶え、卒業旅行は中止になり、遠方で暮らしている祖父母にはもう二年会えていない。
散々なことばかりだけれど、コロナ禍で見つけた楽しみが一つだけある。それがリップ集めだ。
「マスクをつけて口元を見られる機会が減ったのに何故?」と思われるかもしれないが、口元を見られないからこそ、化粧が楽しくて仕方ない。
化粧をすればするほど、容姿のコンプレックスが強くなった
私は容姿に関するコンプレックスが多い。
まず面長で顔全体が四角い形をしている。歯並びは悪いし、年中肌が浅黒い。かわいい子が化粧するならともかく、元の容姿が悪いのに「足掻いているブスだ」と思われたくなくて、化粧をすること自体に長年抵抗があった。
ようやく化粧を始めたのは大学二年生からで、それも「もう化粧は覚えた方がいい年齢でしょ」という周りからの声に影響されただけで、あまり自発的なものではなかった。
化粧を始めると尚更、自分の容姿に気に入らない点が増えた。
眉毛の毛質が気に食わない。小鼻の大きさが気に食わない。まぶたが重い。額の骨が高い。毎朝、鏡に30分向き合うようになると、それまでは気にもしていなかったような「欠点」がいくつも見えてくる。
メイクの研究のためにYouTubeで動画を見るようになってからは、さらにコンプレックスが増えた。口角の黒ずみを隠すようになると口角を見て黒ずんでいると感じるようになったし、シェーディングで人中を短く見せる方法を覚えると、それまで人中なんて言葉すら知らなかったくせに、自分の人中の長さに落ち込んだ。隠し方を覚えるたび、隠さなければならないものがどんどん増えていくかのような錯覚に陥るのだ。
化粧を美しく見せるためには、化粧を覚えるだけでは足りない。顔の脱毛をして、肌の手入れをして睫毛を伸ばして……。課題は際限なく増えていく。
初めは「綺麗な人が化粧するならまだわかるけど……」なんて言っていたのに、気が付くと「元がよければお金も時間も、もっと別のことに使えるのに」が口癖になっていた。一見、真逆のことを言っているように見えるけれど、本質は変わっていない。要するに美しい人が妬ましくて仕方ないのだ。
コロナ禍で見つけた楽しみ、マスクで隠れる「リップ集め」
社会人になるとお金も時間も、学生の頃よりずっと自由になった。気になっていた美容皮膚科に手を出し、SNSで見かけた髪質改善の美容室に通い始め、基礎化粧品のランクを上げた。結果が伴っていないと思われるのが怖くて、人前で口に出したことはないけれど、お金も時間も並みの美容好きより相当費やしているという自負があった。
しかし、お金は無限に湧いてくるわけじゃない。どこかに費やせば、当然どこかを削らなくてはいけなくなる。そんな中でまっさきに費用を削ったのがリップだった。
お金をかけなくなると、少しだけ力が抜けた。他のコスメは自分のパーソナルカラーに合ったものをSNSで探し回りしっかり口コミを確認して購入していたのに、リップだけはドラッグストアで見かけたパッケージのかわいいものや期間限定の色を好むようになった。
「安いから」「誰も見ないから」は、あまりいい意味で使われることのない言葉かもしれないけれど、私にとっては魔法の言葉だった。
青みがかったピンクも濃い深紅も、偏向のラメも私には似合わない。もし明日コロナ禍が終息すれば、私は迷わずリップをマットの赤茶に戻すだろう。だから私にとってリップ集めは期間限定の楽しみだ。
似合う色ではないけれど好きだから。誰にも見せない、私ひとりの楽しみだから。毎朝、鏡に向かう憂鬱な時間の中で、最後にリップを引く瞬間が今は少しだけ楽しい。
昼食の時、外したマスクに前の私なら絶対につけることのできなかった色のリップが擦れているのを見て、自分の秘密に思わず笑顔が浮かぶ。
マスクを外すようになった社会をイメージして、誰にもバレないうちに済ませてしまおうと歯列矯正を始めたのと同じ口で、今だけの楽しみに笑みを浮かべている。