うつ病が悪化して働けなくなった時、ベッドから起き上がることもできず、ただ天井を見上げる毎日だった。携帯を触る余裕がやっと出てきた頃、この働いていない時間を有効活用したいと思い、携帯で電子書籍を読み始めた。
そう思ったのは、何か自分を変えたいと思ったから。心の片隅ではずっとずっと思っていた。
そして私は自己啓発系の本をひたすら読んだ。様々な作者の本を読んだが、総じて作者の方々がおっしゃることは一つで、ネガティブな思考をポジティブに変えることと、小さな幸せを見つけて感謝することだった。視点は違えど、みんな結局そこに行き着いているように感じた。
しぶしぶ始めた、ネガティブな思考のポジティブ変換
正直、うつ病歴12年で精神科にも入院したことがある私からすると、そんなことで人生が幸せになるわけないと思った。「気持ちよく起きれた」とか「ご飯が美味しかった」とか、「生きているだけであなたは幸せなんですよ」と言われても、「人間みんなそうだろ、それプラスアルファのことを言ってんだ」と思ってしまった。
でも「自分で幸せが多いと思いこむ」=「幸せな人生」というのは確かに納得した。
なので藁にも縋る思いでやってみようかな……と思い、機嫌の良い時だけできる限りポジティブ思考に変換するゲームを自分の中で緩く開催した。どうしても変換できなくても自分を責めずに、あくまで無理なく行った。
はじめは、こんな状況をポジティブに変換できなくない?ということだらけだった。前より卑屈になり、イライラするときもあった。でも、変わりたい、幸せになりたい気持ちが強くて、めげずに行った。
ささやかな幸せに気付き、満たされた気持ちになる
そうして約1年が経った頃、何だか最近私ってツイてない?と思うことが増えた。
別に宝くじに当たるとか、ミスコンで優勝するとかそんなのじゃなくて、確実に乗り遅れると思っていたバスがたまたまその日遅延していてバスに乗れたとか、コンビニでめっちゃ親切な店員さんに当たったとか、そういうささやかな幸せ。
でもそんな幸せが一日に何個も重なると、今日一日私ラッキーなことしか起きてない!と満たされた気持ちになる。嫌なことが起こっても、いい意味での「でもさ!」を癖づけると、毎日が幸せの積み重ねなことに気づいた。
もしかしたら私は周りの人から見ると、まだ可哀想な部類なのかもしれない。でも今自分は身の回りに起こることに感謝できて、楽しいなと思う毎日を過ごせている。
小さな不幸の変換を続けることで、大きな不幸も
成功の積み重ねは大きい小さい関係なく、続けることで自分の自信になると思う。ちいさな不幸を幸せに変換する訓練をしていくことで、大きな不幸もいつの間にか変換できるようになった。
「電車に乗り遅れて歩いていくことになったけど、道端の花に気づけた」のような例文はよく目の当たりにするが、「いじめや人の命に関わることなんてポジティブにできない」と最初は思っていた。でも今は過去に受けたいじめを自分の中でうまく処理することができている。
いじめを受けて、夢も健康な体も精神も生きる気力も奪われたが、その裏で私をずっと支えてくれた音楽に私は出会っていた。つらいことに焦点を当ててしまいがちだが、素敵なアーティストに出会ったという幸せなエピソードもある。
辛い経験も、人生の糧になっているのかもしれない
そして何事も長続きしない性格だが、そのアーティストのファンは12年続けることができた。それが高じて大学の卒論では音楽論について書くことになり、その論文は教授から優秀評価を頂いた。
そうやって考えると、辛かったいじめも自分の人生の糧になっていたのかもしれない。
ハッピーな事柄にしてください、なかったことにしてください、というわけではなく、自分の中で納得させて前に進めるようにアシストすることが大事なのだと気付いた。
私はこれからもこの思考を大事に、自分の手で幸せを掴めるように、自分を大事にしながら生きていきたいと思う。