私の母はスーパーポジティブ。お皿を割ってしまったときには「あなたの身代わりになってくれたのね!よかった!」、お金を落としてしまったときには「何か食べたと思えば良いじゃない~。ほら美味しいお肉を想像してごらん。ほら幸せな気持ちになった」と、そんな調子でなんでもポジティブに変換する毎日でした。
 小学校時代に割と辛いいじめにあったときもそんなポジティブな母の言葉に救われてすぐに私は笑顔を取り戻していた。

母に癌が見つかった。『お母さん、死ぬかもしれないんだ……』

 月日は経ち、悩みも増える高校時代、相談していてもポジティブに返されることに嫌気が差していた。私の言葉を聞いてくれていない気がしていたのだ。
小さい頃から何度も救われていたのに、その言葉の大切さを私は完全に忘れかけてしまっていた。
 
 そんな高校時代も終盤に差し掛かったところであることが起きた。
 元気で明るいスーパーポジティブな母に大きな病が見つかった。癌だった。そんなときも母は「お母さん大丈夫な気がする。絶対治すよ」と力強くポジティブだった。幸い早期発見だったため早急に手術を受け癌を摘出すれば治る可能性はあるとのことだった。

 しかし後遺症は90%の確率で残ると言われた。入院生活が始まり、あっという間に手術の日が来た。薬のせいもあり少々ぐったりする母、ずっとポジティブだった母がついに弱音を吐いた。「怖い……」私はハッとした。それまで母がポジティブでいてくれたおかげで母の死を想像できていなかった。母は自分が一番不安で怖いはずなのに家族を不安にさせないためにずっといつものポジティブな言葉を発してくれていたのだ。『母が死ぬはずがない』そう心のどこかで思っていたがその根拠のない自信の壁が一気に崩れた音がして、一気に怖くなった。『お母さん、死ぬかもしれないんだ……』心で呟いた。

元気になった母は私に言った、「あなたのおかげよ」

 しかしそんなときふと今まで母が私にしてくれていたことを思い出した。そう、ポジティブシンキング。私は母に言った「絶対大丈夫。だって私のお母さんだもん。元気になったらまた美味しいもの食べていろんなところ行こうね」その言葉を聞いて母は笑顔になった。そのまま母は手術室へ運ばれた。

 手術が始まり待っている間も私はポジティブな事ばかり考え、ただただ祈った。無事に手術を終え、母が戻ってくるとかなり衰弱していた。そんな母見たことがなかった。言葉を発することもできない状態の母。その姿に私は泣きそうになりながらもただただ母にポジティブな言葉をかけ続けた。

 数日経ち母はみるみる回復していった。先生も「すごい生命力です。かなり早い回復です」と驚いていた。なんと90%の確率で残ると言われていた後遺症もなんと残っていなかったのだ。
 元気になった母は私に言った、「あなたのおかげよ」
 私は思わず泣きそうになりながら母をギュッと抱きしめ、『言葉の力はすごい、人をも救える力があるんだ』そう実感した。

母からもらった感性で今日も私は楽しい人生を送っている

 そんな私も社会人3年目。母も元気に過ごしている。
 私は気づけば周りから「いつも笑顔が絶えないよね~!」と言われるようになっていた。そんなの当たり前。だってポジティブな感性で溢れているから。

 ポジティブに変換していくこの感性は母からもらった大切な宝物。雨の日も風の日も、喧嘩しちゃった日も、ポジティブな言葉が私を、そして周りを笑顔にする。泣いても笑っても人生一度きり。この母からもらった感性で今日も私は楽しい人生を送っている。