ネガティブは決して短所じゃない。でも、長所かと言われると…
ネガティブであることは短所じゃないと、言い聞かせていた時期がある。
それこそ少し調べるだけで、長所に言い換えられる言葉はたくさん見つかるものだ。慎重深いとか、先のことをきちんと考えているとか。悪いことばかりではないのだと。
だから私も、ネガティブであることはむしろ強みだと思うようになっていた。
初めて受けたバイトの面接では、ネットで見つけた言葉を引用してネガティブのよさを熱弁したものだ。
今はネガティブであることを受け入れてます、みたいなことを言えば、みごと合格。そのとき面接を担当した店長は、「そういう風に思えるのはもうネガティブじゃないよ」なんて言っていた。
つまりこの出来事だって、言ってしまえば『ポジティブ』に見えたから好感触を受けたということだ。
もちろんネガティブにだっていいところはある。それは否定しないけれど、ポジティブを捨ててネガティブを選ぶかと言われれば首を傾げてしまう。
今なら素直な気持ちで言える。私はポジティブ人間になりたいのだ。
新しい環境で悩むうちに気付いた。「この思考はまずいかも」
そう気付いたのは、働きはじめて二年ほど経った頃。
持病が災いして体調を崩し、やむなく勤務形態が変わった。収入も減って部署も移動して、慣れない仕事に四苦八苦する日々が続く。
コミュニケーション能力だってさほど高くない私は、新しい人間関係にも悩んでいた。
決して悪い人達ではないし、雰囲気だって悪くない和やかな職場だ。
ただ、あのとき上手く言葉を返せなかったとか、話題を続けられなかったとか、そういう細かなことがどうしようもなく気になってしまった。
仕事だってたいしてできないのに、つまらないやつだと思われたらどうしよう。前任の人の方がよかったと思われているかもしれない。言葉をかわす度に、わからないことを聞く度に、そう思うようになった。
時間が経ち仕事や職場に慣れてきても、根本的な考え方は変わらない。
私の仕事は誰にでもできるものだとか、代わりなんていくらでもいるとか、毎日そんなことばかり考えていた。
先輩が私に指摘する細かい注意は、私が嫌いだから言ってるんじゃないのか。そんなことまで思い始めて、ようやくこのマイナス思考はまずいんじゃないかと気付いた。
ポジティブへの道のりは、小さな達成感の積み重ね
このままではよくないと、ネガティブである自分を変えようと決意する。
けれど二十数年ネガティブで生きてきた人間が、突然ポジティブになれるわけもない。そう思って、些細なことから変えていこうと心がけるようにした。
いきなり大きな目標を立てても、達成できずに落ち込んでしまう。かと言って無理をして続ければ疲れてしまうから、自分に合った適度な目標を立てる。
楽しくお喋りできたときは自分を褒めたり、1日5ページ本を読むという簡単な目標を設定したり。小さな達成感を積み重ねて、自分を肯定するようにしたのだ。
そんな私の最大の天敵はSNSだった。有用な情報を得ることができる世界は、時としてそのきらびやかさでネガティブを刺激する。意味もなく自分と比べて落ち込むときは、スマホから手を離すようにした。
喜ばしい報告さえ素直に受け止めることができないときは、自分が疲れているときだ。疲れているときに他人の幸福を祝福できないのは仕方ない。そう思うと気分が楽になった。
今も私はネガティブ人間。だけど、変わろうとする自分は嫌いじゃない
一度割りきってしまえば、羨ましいという気持ちだけでなく素直に嬉しいという気持ちも自然と沸いてくる。
Twitterで結婚を報告した友人には、心からの気持ちで「おめでとう」と言えた。メッセージを送ったあと、ちゃんと祝福できる自分が少し誇らしく思えた。何せ肯定感を高める最中なので、自分に甘くなっている。
今でも私は、ネガティブ人間を脱却できていない。すぐに落ち込んだりマイナス思考になったり、そんな自分に嫌気が差すのも本当だ。
けれども、ポジティブになろうと努力する自分は嫌いではなかった。
ポジティブ人間への道はまだまだ遠いけれど、私は今日も一歩ずつ前に進んでいく。ネガティブな自分も嫌いじゃなかったと言えるその日まで。