早いもので、「会社員から離れてみようかな」と思い立ってから1年が経った。
あれから間もなくして会社を辞め、個人でのライターの仕事のみに専念し、秋には開業届を出した。初めての確定申告も先日なんとか終えられた。数字が果たして合っているのかどうか、未だに全く自信はないが。

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自信のなさは、確定申告に限った話ではない。
組織に属しておらず、お給料も毎月決まった金額が入ってくるわけではない生活は、なかなかに不安定だ。お金だけじゃなくて、心も。
仕事の獲り方、働き方は今に至るまでずっとずっと手探りだ。
それでも私は、自分の選択に後悔はしていない。

心が不安定だと言ったけれど、それは例えるならば、舗装のされていない道を歩いているような感覚に近い。時には「ここは通っていいのかな?」なんて思うような、やたら細かったり怪しげだったりする道もある。得体の知れない障害物に阻まれて、進むべき道そのものがよく見えなかったり。
でも、歩こうと思えば案外足はちゃんと前に出るものだ。この1年の間で、私はそれを実感してきた。
何が正解かなんて、未だに分からない。けれども、今日も私はこうしてキーボードを叩いて、お腹が空いたらご飯を食べて、眠くなったらベッドに入っている。
つまりはちゃんと生きていられている、それだけで花丸なんじゃないかとも思う。

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心の不安定さで言えば、会社員時代の方が遥かにぐらついていた。道の例えで話すならば、それは平均台の上を歩いているような感覚だった。いつ足を踏み外してもおかしくないと、四六時中気を張っていた。
必要以上に人に気を遣いながら仕事をする生活から解放されたのは、フリーランスになって良かったことの最たるものだと思う。

人と話すことは好きだ。でも、集団の中にうまく収まって業務をこなしていくことに対する抵抗感がどうしても拭えなかった。単に考えすぎなだけなのかもしれないとは思いつつも、いつもどこか自分の存在がはみ出しているような気がした。
業務そのものとは関係ない部分に神経を尖らせる毎日に、「何でこんな気持ちで仕事をしなきゃいけないんだろう」と心の片隅はいつもずん、と沈んでいた。

今の私はというと、在宅で仕事をしている。
気持ちとしてはもう少し早く起きたいと思ってはいるものの、寒い朝はなかなかベッドから這い出るのが至難の技で、ここ最近の起床時間はもっぱら9時前後。会社員時代は、始業時間が決まっているから寒かろうが暑かろうが毎日朝早くに起きなければいけなかった。
早起きして、着替えて化粧をして……というルーティーンがごそっとなくなったのはあまりにも楽だった。

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「最近本当に朝起きれないな、まいったな」なんて寝ぼけまなこで思いながらPCを立ち上げ、メールやグループチャットにまずはさーっと目を通す。
その後、お湯を沸かして紅茶を淹れる。日によってはコーヒーの時もある。
マグカップ片手にPCの元へ舞い戻り、ここでようやく腰を落ち着ける。熱い紅茶をちびちび飲みながら、寝巻きのまま仕事開始。

適当な頃合いで外に出られる格好に着替えて、お昼頃食材の買い出しに行く。今日はあったかいなあ、空に雲が1つもないや、そんなことをぼうっと考えながら近所の道をてくてく歩く。

夜になったら「お疲れさまでした!」とグループチャット上で簡単にごあいさつ。
今抱えている仕事のほとんどは、受注や納品時以外はあまり先方とのやり取りが発生しないものの、1つだけ、チーム内の連絡が活発な案件に関わらせていただいている。
集団にはどうしても気疲れしてしまうたちだけれど、それでもどこにも属さずに1人で黙々と仕事をしているのもちょっぴりさみしい。だからこそ、テキストベースだとしても、人とコミュニケーションをこまめに取り合えるのがうれしかった。

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夫の帰りを待ちながら、夜は食事の用意。夫のお弁当用の作り置きおかずも同時に作ったりする。
夕飯を摂った後も、何だかんだ寝る前までキーボードを叩いていることが多い。それでも、特に苦だとは思わない。なぜなら、やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにやっているからだ。自分で自分の手綱を握っている感覚があるからだ。
自ら決めて選んだ道である以上、何かに対して不満を抱くこともない。仮に抱くとしても、その不満の矢印はいつだって自分に向く。そして、自分の努力が足りないのだという答えに常に着地する。

フリーランスになることを決意してから1年経ったとはいえ、これからの道のりはまだまだ長い。まだ、歩きはじめたばかりだ。
自分に不足しているものに思考を巡らせながら、遠くまで続く道にまた一歩、今日も私は足を踏み出していく。