私の住んでるアパートは三年経ってもゴキブリが出たことがない。
たまに蜘蛛の親子がぴょこぴょこしているくらいで本当に虫トラブルのない良いアパートなのだが、私は去年一年間、しょっちゅう蚊に喰われていた。
春夏秋冬、一年間である。

去年まで会社に所属していて、朝起きる時間、夜寝る時間は全て会社の仕事の時間を軸に決まっていた。
ブラック企業ではなかったし、会社の人たちはみんないい人であったことは確かだが、この仕事向いてないなと思うことはよくあった。

というか「御社」と「弊社」という言葉が自分の会社と相手の会社どちらを指すのか、入るまで知らなかった程、社会人経験皆無な人間で、それまではもっとフラットなコミュニケーションの中進める仕事をしていたので「会社語」みたいなものに取り巻かれて過ごすのが初めての経験だった。
日々行き交うメールには沢山の飾りの言葉がついていたが、内容としては「了解」というくらいのもので、その仰々しい言葉たちに疲れていたのは確かだった。

一日のエネルギーを仕事に使い果たして、手首にぷくりと膨らみが

帰宅して、今日も一日頑張った。とベッドに寝転び、頭をクールダウンさせる為にSNSを開く。
そうすると、仕事に使えそうな画像が流れてきて、携帯に保存する。
プライベート時間と仕事がじんわりと混ざり合っていく。
その時間はただ好きなものだけを見て、好きなことだけを考えればいいのに。
ふと手首に痒みを感じて、見てみるとぷくりと虫刺されの痕があった。
かいかい。ペケポンした。

テレビからコロナのニュースが流れるようになった。
それでもまだ遠い国の他人事で、中国でマスクが売り切れになっていると耳にしながらも大変だなぁと思うだけで、朝の満員電車に揺られていた。
締め切りまでに資料を作ることが何より大切だった。

一日のエネルギーを仕事に使い果たして、それでも帰宅してから何とか食材を炒めて自分に餌をあげる。手作りのご飯を食べることは偉いことだから。
顔を洗うことが本当に面倒で、それまではクレンジングと洗顔をしていたけどある日からもうクレンジングだけでいいや、と洗顔料を買うのを止めた。

また同じ手首の所が痒くなって、見るとぷくりと膨らんでいた。また蚊かよ。その日もペケポンした。

テレワークになって、毎日「会社語」と優しさのスタンプが届くうちに

いよいよコロナが日本に影響を出し始めて、テレワークが導入された。
慣れない打ち合わせがリモートになって、さらに負担を感じた。提出しても提出しても、企画が却下された。
そんな拙い企画を何とか通す為に、補足説明する会社語だけ、巧みになっていく。

朝起きて、洗濯をする。
リモートであっても、ちゃんとお洒落をして、化粧をしなければ。
会社から持ち帰った大きなモニターをいつも食事をしているテーブルにどんと置いて、PCの電源をつける。
昨日出した案は全然間違っていた、今日中に作り直さなければ。
上司からLINEが来る、ここをこうして、こっちをこうして、あっちをこう、会社語と優しさのスタンプがピヨピヨと通知音を鳴らしながら私の元へ届く。

その日は天気のいい日だった。突然、上司からのLINEの文章が全く理解できなくなった。文章の羅列だということは分かる、単語単語の意味は分かる、だけど文章として何を言っているのか分からない。
そしてそれに必死に返信しようとキーボードを叩いていても、自分の言葉がちゃんと意味をなしているのか?言葉がきちんと繋がっているかが分からない。

また蚊に大きく喰われた。仕事を放りだした私もペケポンだ

また手首をみると、夜になっていないのに、蚊に大きく喰われていた。
いつも夜だけだったのにな、今日は朝から来るのか。
太ももにも一箇所。ペケポン×2だ。

今更だがペケポンというのは蚊に刺された時に痒みを退かせる為に患部に爪でバツをつけることだ。
昔母に教わったおまじないのようなものである。

その日、仕事を放り出し、河川敷まで歩いて、長い時間自然を眺めていた。

ダメだなぁ私って。

翌日、必死に自分の気持ちを奮い立たせて出社すると鬱だと笑われた。
鬱の人とのコミュニケーションが分からないのだろう、ネタにすることで平穏を保つスタイルだ。
私も一緒になって笑った。私は歩く大きなペケポンである。

フリーランスになった私は好きな言葉だけを使い、もうペケポンはしない

まぁそういう仕事が続くはずもなく、私は冬まで頑張って、そこからは完全にフリーランスになることに決めた。

年が明け、自分の時間が全部自分のものになった。
朝起きる時間も、夜眠る時間も全部自分が決めればよかった。

そこから、一度もペケポンはしていない。
私は”好きな言葉”だけを使って、ここにエッセイを記す。

後になってやっと気付いた。痒みは蚊の仕業ではなかった。蕁麻疹だ。