プラス思考と、マイナス思考。
ポジティブと、ネガティブ。
楽観的か、悲観的か。
明るいか、暗いか。

堂々と言うことでもないが、どれをとっても私は後者だった。これまで歩いてきた道のどこを振り返ってもそうだ。
自分に自信がなく、いつだって周囲の機嫌を窺いながら生きてきた。自分がどう思うかより、相手がどう思うかが最優先事項だった。

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「私の成長」という今回のエッセイ募集テーマを見たときも、いざキーボードを叩こうとしたら冒頭の数行だけ書いたところで手が止まってしまった。
それからしばらくの間、どうしても続きを書く気が起きなかったものの、クリスマスでありエッセイの募集締切日でもある今日、宙ぶらりんの文章の最後尾に私は再度カーソルを合わせた。

「成長」ということはつまり、自分を肯定的に見つめること。「頑張ったね」と自分自身の肩をぽんと温かく叩くこと。私はどうしても、これに抵抗を感じてしまう。
「あなたは昔からなんにも変わっていないよ」「ずうっと同じところをグルグルと歩いているだけだよ」と、もう1人の自分が事あるごとに隣で囁く。
自分を卑下したところで何も生まれないことは分かりきっているものの、昔からどうしてもやめられない。これはもはや持病のようなものなんじゃないかと、半ば諦めのような気持ちで思う。
……とは思うものの、ここ1年くらいの間で、自分自身に変化が起こっていることも実は実感していたりする。前置きがだいぶ長くなってしまったが、今日はその「変化」の話を綴ってみようと思う。

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「石橋を叩いて渡る」という有名なことわざがあるが、かつての私といえば、「石橋を叩いて叩いた挙げ句、結局渡らない」そんな人間だった。要するに、相当な臆病だった。
こうなったらどうしよう、ああなったらどうしよう、と生来のマイナス思考をフルスロットルで回して、自らネガティブの沼に突っ込んでいた。
慎重、といえば聞こえはいいものの、慎重になり過ぎて行動を起こさないのでは意味がない。本心では行動したいにもかかわらず、だ。

そんな私だったが、どこかのタイミングでスイッチが切り替わったのか、それともゆるやかにグラデーションが生まれたのかは曖昧ではあるものの、「ぐだぐだ考えることをやめよう」と、ここ1年くらいの間でよく思うようになった。自分が一番最初に抱いた直感を、まず大事にしようと思った。
この「直感を信じる」という行為が、私の中でことごとくピタッとはまっているのだ。
人間関係においても、仕事においても、どの場面でも大体直感が当たっている。

当初は、直感の勢いに任せた自分の行動に少なからず不安も抱いた。行き当たりばったりなのではないか?考えなしの行動なのではないか?と。
こういった不安は今でも抱く。山ほど抱く。でも、後悔の気持ちが湧き上がる場面は以前より格段に減った。たとえ不安に襲われても、あるいは失敗してしまったとしても、案外へこたれない自分がそこにはいる。

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2022年春、私は会社を辞めた。
組織には属さない形で、仕事をしてみることにした。
誰かと一緒に生きていくなんて自分には無理という固定観念に長らく縛られていたけれど、結婚した。
まだまだ未熟だと思いつつも、開業届を出した。

これらは最近起こった主な変化のうちの一部だが、どれをとっても深くは考えなかった……と一概に言い切ってしまうのもどうかと思うが、ほぼ勢いに任せた行動だった。「とりあえず、やる」がもたらした結果ばかりだ。
特に仕事に関しては、この「とりあえず、やる」精神でここまで走ってきている。いつまでもこのやり方は通用しないのではと思う部分はあるものの、それでも息切れせずにスタミナを保ち続けていられている自分にはふとした瞬間びっくりしたりする。ネガティブの沼に足をとられる場面も、思ったより少ない。

「意外と脳筋」
「見かけによらずパワー系だよね」
最近では、そんな言葉をかけられる場面もある。石橋を叩いて叩いて挙げ句結局渡らない、そんなタイプだったはずなのに、なんだかまるで別人のようで思わず笑ってしまう。
でも、「別人のよう」ということはつまり、やっぱり変化が起きている証なのではないかと思う。

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思い切った行動ができるようになった。
良くも悪くも図太くなった。

まだまだ不安定な部分はあるが、確かに私は成長しているはずだと言い切ってもいいのではないだろうか。
いっそのことこの勢いで、心のどこかにまだじめっと存在しているネガティブの沼も、カラカラに干からびればなおいいと思う。