この間、信じられないことが起きた。
私の苦手な食べ物、にんにくを、初めて「美味しい」と思えたのだ。

先日、冷蔵庫の中に、にんにくが丸々一個ラップに包まれているのを発見した。
私のパートナーはにんにく料理が大好きで、彼のために買ってきたものの残りだった。
フードロスは何よりしたくないので、仕方なく今夜の料理に入れようと取り出した。

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私はにんにくを食べるのも、切るのも調理するのも嫌いだ。食べるのが嫌な理由は、独特な臭いが嫌いだから。
切ったり調理するのが嫌いなのは、地獄のようだった結婚生活を思い出すから。
結婚していた頃、家に帰ってこない夫が家に帰ってきてくれるように、夫の大好物を作って待っていようと、バカのひとつ覚えみたいに、嫌いなにんにくを刻んであらゆる料理に入れていた。
結局夫がそれを食べることはなかった。なぜなら、私は帰ってこないと分かっている人のために作ったその料理がテーブルの上で冷めていくのを見るのが辛くて、皿ごとゴミ箱に捨てていたからだ。

にんにくは、私にとってあの地獄のような結婚生活を思い出す最悪の食べ物だった。「何で帰ってこないの?」とすら聞けず、夫が帰ってこない状況を黙って耐えるだけの臆病で意気地なしな自分を思い出させる食べ物だった。
だから、好きじゃなかったのだ。

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話を元に戻すが、その日の献立はトマト煮込みだった。
トマトとにんにくなら、相性バツグンだし、きっと美味しいはず。臭いがついても、永遠に続くわけじゃないし捨てるのはもったいない。
そう言い聞かせて、テーブルに料理を広げた。まず、パートナーが一口食べて、「なにこれうますぎる」と言った。
えっ、本当に?と言いながら、素直に嬉しくて、私も一口食べてみる。信じられないくらい、美味しかった。
まるでお店の味のように仕上がった晩ごはんにうっとりした。
あっという間に平らげて、お腹がパンパンになって二人でソファに寝転んだ。
「今日の晩飯おいしかったね」とパートナーが言った。
自分が作った料理を褒められることは、自分を褒められるのと同じだ。
私にとっては。だから素直にすごくすごく嬉しかった。「もう二度と誰のためにもご飯は作らない」と泣いていたあの結婚生活から数年後、私はこうして好きな人と自分が作ったご飯を分けて食べ、美味しかったと言われて喜んでいる。
時間というものにも、自分の生命力にも、心から感謝したいな、と思う。

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私はこれからもキッチンに立つんだと思う。
自分を楽しませるために。時には誰かを喜ばせるために。
でも、誰かがそれで喜んでくれなかったとしても、それはそれでいいんじゃない、とも今なら思える。
だって、その時私の料理を誰かが食べてくれなかったとしても、時を経て食べたら「何でこんなおいしいもの今まで食べてこなかったんだろう」と言われるかもしれないし、新しく出会った誰かが「美味しい」と言って食べてくれるかもしれない。
人それぞれだし、その時々だ、と、今の私は思えるようになったからだ。
美味しいと言ってくれる人もいるし、まずいと言う人もいる。
それだけのことだ。

ということで、今日も私はスーパーに行く。
にんにくを買いに行くのだ。
すっかり私の大好きな食べ物になったにんにくを、私と、パートナーのために、買いに行くのだ。