今日、サークルの追いコンがあった。
追い出しコンパ。後輩達がみんなで4回生を追い出す会。今年大学を卒業する私は、追い出される側として会場に赴く。

今年の追いコンは、昨年までとは少し様相が違っている。仲良くないのだ。先輩と後輩が。

決して仲が悪いという意味ではない。単に、互いに知らない相手が多すぎるのである。

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世間一般のシステムがどうなっているのかはよくわからないが、私の所属しているサークルでは例年、2回生の代から、その1年間の活動・行事を全て取り仕切る幹部が選出される。

幹部に就任した2回生の最初の腕の見せ所は、なんといってもやはり初々しい1年生をたくさん呼び込むための新歓で、数ある新歓行事をともに楽しみ、親睦を深めた1、2回生が中心となって、その後1年間のサークルが運営される。

この時期を通して2回生の間にも連帯感が生まれるため、新歓に励むこの時間は、その年のサークルの雰囲気を決める上で極めて重要な時期だそうだ。

ところが3年前、私の代に幹部が回ってきた時、私たちは1回生と仲良くなることも、同期の繋がりを深めることもままならなかった。世間は最初の緊急事態宣言のさなか、飲食を含む新歓行事はおろか、普段の活動すら取りやめざるを得ないような状況で、全く先行きの見えないまま1年が過ぎた。

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ありがたいことに、そんな中でもうちのサークルを選んで入会してきてくれた1回生は数多くいたが、互いにあまり会う機会もなく、互いの顔も名前も知らないまま、時だけが過ぎた。新体制のサークルは、スタートダッシュを決めるどころか、スタートすること自体許されなかった。

完全に出鼻をくじかれた私たちは、少なくとも私は、そのまま勢いを失い、ついに最後まで、無くした時間を取り戻すことができなかった。

3、4回生になる頃には、通常の活動はほぼ完全に復活していたが、今度は私の方が実習やゼミで忙しくなり、ほとんどサークルに行かなくなった。毎年春と夏に1回ずつ行っていた合宿は、結局4年前の夏に行ったきり、再び開催に漕ぎ着けることはなかった。

LINEのアルバムに後輩と撮った写真は1枚もなく、いまだに名前すらわからない後輩が何十人といる。自分が1回生の時、あれだけ先輩にご馳走になっておきながら、結局自分は1度も後輩に奢れずじまいだった、ということに気づいたときには少し、愕然とした。

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しかし後輩達はそんな私にも、数少ない4年間の写真をかき集めて凝ったアルバムを作り、いつかの記憶を手繰り寄せてメッセージを書き、可愛らしい花束とともにそれらを贈ってくれた。後輩に対し本当に何もできなかった私としてはかなり申し訳ない気持ちになったが、それでもやっぱり、とても嬉しい。

彼らの言葉を読みながら、彼らの眼に私はどう映っているのだろうかと考えてしまった。メッセージカードには、数えきれないほどの耳に優しい言葉で彩られた、私の知らない私がいた。今の私は、自分が1回生の頃に見た、あの大人で落ち着いた4回生の姿には程遠いけれど、私が誰かの“先輩”であったこの3年の間に、どこかほんの一瞬でも先輩らしい姿を見せられていたのであれば、それは本当に良かったと思う。

思えば、もらってばかりの4年間だった。先輩からも、友達からも、家族からも、そして後輩からも。そう考えると急に誰かに何かを返したくなって、とりあえず帰り道に近くのドーナツ屋に寄って、家族分のドーナツを買ってみる。

私も、ちゃんと人に何かを与えられる人間であれますように。そんな人間になれますように。
後輩達、今日の借りはいつか必ず返します。