ウィッシュリストというのをご存じだろうか。
もし知らなければぜひ、インスタで検索してみてほしい。
かくいう私も、インスタからこの存在を知った。

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1年のはじまりに、叶えたい目標を100個書くというもの。
100個って多くね?とお思いのあなた。私もそうだった。
何も壮大な目標を掲げろ、というのではない。
例えば、「週に1回ヨガ」とか「TOEIC単語」とか何でもいい。
自分が続けられそうな目標、あるいは叶えたい夢を100個書き出せばいいのだ。

さて、このわくわくするような存在を知った私は、とりあえず思いついた分だけ書き出して、残りは都度書き足すという方式を取った。
真っ先に書いたことは「仕事を辞める」。

当時私は適応障害に陥り、休職中だった。
そのためまず最初に仕事に関して思いついたのは当然の成り行きだろう。
ちなみに書き出して4か月後、願いは叶うことになる。
些細なことでいい。私は「靴下の新調」だの「ナプキンを切らさない」だの、いつかは必要になることまでどんどん書いた。
継続できることも、叶えられることもできる目標だった。

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そして最後の100個目、私はかねてからずっと叶えたかった夢を書き込んだ。
「大賞を受賞する」。
なんの大賞?と思われるだろう。
作家、それも小説家である。

SNSでアップすれば人気作家になれる今の時代、別に賞を受賞するだけが全てではない。
うまくいけばWEBから作家にだってなれる。『君の膵臓を食べたい』の住野よるさんもWEBスタートだった。
けれどこれは本当に一握りで、体感として文章よりもマンガのほうがバズる印象がある。というか、ほとんどがそうじゃないだろうか。
つまり文字を書いて商売をするという職業は、あまりにも入り口が狭すぎる門を通らないとなれないということ。
それでも私はなりたい。なぜかというと、それでしか自分の感情を表せないから。

ひとはどれくらい自分の感情をうまく言い表せるだろうか?
たとえ感じたことを言葉にしても、どこかで捻じれ、相手には違った意味合いを持たれる。好意的にも、その逆にも受け取られかねない。
あれ、言いたかったことと違う意味で取られている……。SNSをしているひとなら、一度は感じたことはないだろうか。

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小説は、伝わらない自分の感情を言葉や情景に乗せて、いくらでも語ることができる。
どうして自分ばかり、という卑屈な感情も、あいつがいなくなれば、という口にするには躊躇うような感情も、物語に乗せれば淀みなく書き出せた。
こういった思いはどうしても自分の中に溜め込みがちで、外には出てこない。出てこないから、もっと孤独を感じる。
けれど人の内面を描く小説を読んだとき、ああ、自分だけではなかったのだと安心できる。

私は、そんな作家になりたいと夢に描いた。
もうじき2022年も終わりに近づいている。今ここで書いているということは、つまりそういうことだ。
応募した作品がいいところまで行った場合もあれば、一次選考であっさり脱落した場合もある。
いいところまで行ってしまうと、どうしても諦められない。
描いた世界は間違いではないが、心を揺さぶるにはまだ足りないということだろうか?

今もまだ、果敢に挑戦中だ。締め切りは年内だが、発表は来年になる。
ということは、2023年に持ち越しかあ。ウィッシュリスト的に1年超えるのはアリなのか、私にはわからない。
わかる方、ぜひ教えてください。

そしてすでにこの夢を叶えた方、あるいはWEBで人気になった方に伝えたい。
私に君の膵臓を食べさせてくれないだろうか。