「大丈夫?」と聞かれて「大丈夫」と答えるのが、ストレス社会で生きる人たちにとっての模範解答となっている。私もそう答えるうちの一人だった。

そう、あくまでも過去形。「大丈夫」以外の上手な返し方を、昔の私はまだ知らなかったのだ。

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小さな頃から、私はとにかく「泣く子」だった。転んで泣く、痛くて泣く、おもちゃを貸してと言われただけで泣く、もちろん、怒られても泣く。幼少期は、笑った数よりも泣いた数の方が多いのではないかというくらい、とにかく常に泣いていた。大人になった今ではさすがにそこまで泣かなくなったが、「良く言えば涙もろい」と周りには伝えている。
泣き虫の私は気が弱く、誰かに何かを頼まれれば、嫌なことでも「NO」とは言えない性分だった。「断って相手の機嫌が悪くなるくらいなら、自分がほんの少し我慢すればいい」。そんなふうに考えていたのだ。その我慢を例えるなら、まるで「雨」のようで、少しずつ降り注いでは辺りを静かに濡らし、やがて水かさが増すにつれて、心の壁に亀裂を入れていった。

そんな状況でも、決壊寸前で水かさは引いていく。ほんの少しの「やさしさ」でストレスの雨が止む瞬間があるのだ。それは周りからの言葉であったり、自分が起こす行動であったり、内容はさまざまだ。ストレスの雨は常に降ってはいるが、私は少しずつ「私の喜ばせ方」を知り始めたのだ。

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好きなものを食べ、好きなものを飲む。静かな部屋で本を読む。思いっきり動いて汗をかく。お気に入りの音楽を聴く。しっかり睡眠をとる。今となってはどれも私にとって必要不可欠な習慣だが、朝から夜中までひたすら働いていた昔の私には、どれひとつ満足に出来なかった。
感情は薄れ、喜怒哀楽の表現の仕方も分からなくなり、泣くことすら出来なくなる日が来てしまうかもしれない。そうなってしまっては、生きる楽しさや幸せが見出せなくなってしまう。働き詰めで、なにを目指しているのかさえ分からなくなっていた日々の中で、私が見つけた答え、それは「自分の気持ちを言葉にする」ということだった。

出た答えはあまりにもシンプルで難しくないように思えるが、「泣き虫な弱虫」だった当時の私にとって、歩み出すきっかけとなる大きな大きな一歩であった。

出しゃばりすぎてはいけない。でも、我慢することはもっといけない。そう決めたら行動にうつすのは思った以上に簡単だった。

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断るにも理由をつけ、相手を納得させた。相手に理解して欲しければ、納得せざるを得ない理由を提示した。「言っても周りは何も変わらない」と黙り込んでいた今までの私とは違う。泣き虫の私でもない、新しい私。極端な話、「私がいなくても世界は回る」くらいの感覚になった。

だから体調不良や予定が合わない時にも気兼ねなく相談できるようになったし、無理なものは無理と言えるようにもなった。さすがにTPOは弁えているつもりではあるが、自分の意見や状況をちゃんと伝えられるようになった。

気持ちを言葉に表せるようになった私。もしも今、「大丈夫?」と聞かれたら「大丈夫そうに見える?」なんて、生意気なことを言ってしまうかもしれない。そんな私の成長記録である。