私は、幼稚園から大学まで、全て「共学」に通った。

私が小学校を卒業するまでに、両親の離婚で、父と疎遠になり、母方の祖父も亡くなった。血の繋がりのある異性との、縁が薄くなった。

社会に出る前に「男性に対する苦手意識」を払拭するため共学に入った

思春期に入ると、男性に慣れていないことに加え、学校の男子と話すことに対して「恥ずかしい」との思いが先行した。結果、ほとんど話すことはなかった。自然な流れで「男性に対して苦手意識」を持つようになった。

社会に出る前に「異性だから、話をしにくい」という、意識を変えなければならない。進路選択の時期、迷わず「共学」を選んだ。

共学の大学に進学し、英語を専攻した。共学とはいえ、学部の7割程度が女子の「女子パラダイス」だった。「サークルに入るしかない」と思い立ち、男女比と、自身の思考を加味して、サークルを選んだ。

入部したのは「新聞部」だった。サークル紹介本に男子部員が載っており、「この中でなら、やっていける」と感じたことも、決め手の一つだ。

先輩達は、優しかった。年間を通しての活動は主に、学部長へのインタビュー、スポーツ大会への引率、学園祭などの様子を写真に収め、記事にすることだ。前述のスポーツ大会は、年毎に、四国4県のいずれかの、県庁所在地近くで行われた。取材期間も、1泊2日になることが多く、先輩達と過ごす時間も、自然と長くなった。

男子と話すことがなかったから、逆質問できたときは不思議だった

「自炊はするの?」。「一人暮らしは、慣れたかな?」。最初は話し掛けてくれて嬉しい半面、緊張で上手く返事ができなかった。だが、少しずつ、互いに心を開き始め、今度は、自ら先輩達へ、質問を投げ掛けることが、できるようになった。

私は今まで歳の近い男子が、どんな生活を送っているのかを見聞きしたことがなかったので、逆質問できたときは不思議な感覚だった。

基本的に活動は週2回、昼休みに部室に集合し、ミーティングをした。各々が担当する記事の、進捗状況の確認をしていた。原稿の締め切り日近くになると、連日、放課後に部室に出向き、レイアウトなど微調整をした。夜遅くまで粘り、皆のアルバイトの予定や金銭面が許せば、ファミリーレストランで、互いを労いながらご飯を食べた。

また、歓送迎会などの飲み会の場では、二次会でボーリング対決をした。男子の投球の威力や、貸し出しのシューズのサイズに驚いた。さらに、歌が好きな部員が多く、親睦を図る意味合いでもカラオケもした。男子だからこそ出る、低音や高音パートを聴くこと、男女デュエットなども経験できた。カラオケを夜通しし、朝5時頃まで歌い続けたこともある。

「オール」の類を経験し、眠気と戦いながらも、体がついて行っていた大学時代。まさに「青春」であり、「あの頃は、若かった」と思わざるを得ない。

大学時代に「共学」を選んだことは、胸を張って正解だったと言える

先輩だけでなく、同学年や後輩も部活には存在した。男女比も、ほぼ同数であった。私は「男だから」「女だから」との先入観を捨て「1人の人として、知る」ことを大事にした。また、「先輩を立てる」など、尊敬の念は持ちつつ、先輩後輩、男女の違いに関係なく、自然と接することができるようになった。

そして、大学3回生の1年間は、部員9名程をまとめる「部長」に任命され、任務を全うした。気さくに話をしつつ、相手の本質を見抜き、誰に対しても物おじをせずに意見を求め、伝える姿勢を評価されたのが、選出された理由だ。

大学時代に「共学」を選んだことは、胸を張って正解だったと言える。ただ、もし「別学」の道を選択していたとしても、地域の方と関わりのある、ボランティアなどの活動や、学外でのアルバイトに参加して「男性への苦手意識の払拭」に、努めていたに違いない。

新聞部の方々に出会えて良かった。社会人となった今、男性社員とも概ね良好な関係を築けているからだ。心から感謝している。