さて。今日も作り置きを作って、せっせとご飯を炊こう。
手を洗い、エプロンをつけた私はカウンターキッチンに立ち作業を始めた。

土日休みの私は誰かとの予定等が入っていない日曜日には午前中に洗濯と家中の掃除をして、午後からお弁当や夕食の作り置きを準備するというルーティンがある。今日がその日曜日だ。

◎          ◎

まず3合分の米を研いで、電気圧力鍋で炊飯から始める。
まだまだ寒い季節だからきんとした水の冷たさに米研ぎを躊躇するけど、お米を炊かなきゃ始まらない。冷水との格闘を終え、電気圧力鍋のスタートボタンを押した。

そして、作業台にスーパーで買ってきた野菜やむね肉を並べていく。
小松菜は洗って冷凍して、半分は卵とじにしてお弁当のおかずにするかな。
人参は安くてたくさん買ったからきんぴらと、ラペを作ろう。
むね肉の1枚は片栗粉をまぶして甘辛揚げに、もう1枚はインスタで見た下味冷凍やってみるか。

包丁ですべての野菜や肉たちを刻んでいく。
トントン、シャクッシャクッ。
無心で刻んでいるせいか、時々思い出したくない記憶がひょっこり顔を出す。

私が通っていた高校は食堂がなく、あるのは小さな購買部だけだったからクラスの9割がお弁当を持参していた。私は7割パン・3割冷食のお弁当を持参するような学生だった。今日はパンの日で、母が購入してくれたスーパーで売られている大きなデニッシュパンをお昼に食べた。

◎          ◎

一緒にお昼を食べる4人グループの1人のAちゃんが言う。
「もぴ、またそのでかいパンなの~?ほんとパン多いよね、飽きない?」
「うん、パン好きだから大丈夫だよ」
卵焼きを頬張りながらBちゃんも続ける。
「てかさ、もぴのお母さん専業主婦だよね、お弁当作ってくれないの?うちもAも、毎日作ってくれるよ?作ってくれないなら、Cみたいに自分で作ればいいじゃん、ね?」
「あはは……」
Cちゃんが箸をおいて、私に微笑んでこう言った。
「私ができるから、もぴもきっと大丈夫だよ~!」
「うん、ありがとうね」

ちゃんと、笑えただろうか。うまくごまかせただろうか。
何回食べたか分からないデニッシュパンと購買部で買ったレモンティーで、3人の話に相槌を打ちながら、ただひたすらに流し込む。いつの間にか話題が文化祭に変わり、私はほっと胸をなでおろした。
結局私は高校3年間のうち自分でお弁当を作り、それを持参できたことはなかった。

◎          ◎

私が育った家庭では、雑然とした台所に入るとたちまち母の機嫌は手が付けられないほどに悪くなる。だから冷蔵庫を自由に開けることも、コンロでお湯を沸かすことも、包丁を使うことも許されなかった。かといって家族の手料理を食べられるような環境でもなかった。
きっと、大半の人達は理解できないと思う。でも私はこういうたくさんのルールが定められた環境で育てられた。ルールを何度も破ろうとしたし、破ったこともあった。だけど、いつの間にか順応しないと生きていけないような子供になってしまったんだと思う。

なんでお弁当作ってくれなかったの?せめて、自分で作って持って行きたかったよ。
なんでうちのご飯は毎日てんやものだったの?ずっと昔に作ってくれた卵焼きとオムライス、大好きだったんだけどな。
なんで決められた服を着ないといけなかったの?友達とお揃いで買った服、結局着れたのは一度だけだったよ。
なんで早朝5時起きでシャワーを浴びないといけなかったの?夜に湯船に浸かって入浴した記憶は一人暮らしを始める前までは7歳くらいから止まったままだったよ。

なんで、なんで、なんで、なんで。
きっと子供だった私には分からない様々な事情があったのかもしれない。
だけど、今まで積み重なったたくさんの「なんで」が溢れて胸がじわじわ苦しくなり、目前の視界がぼんやり滲む。

◎          ◎

ピー。
いつの間にかお米が炊きあがったようだ。
そうだ、作り置きの準備中だったのに、いつの間にか手が止まってしまっていた。
続きをしなきゃ。
炒めた小松菜と卵を鶏がらで味付けして、卵とじの完成。
細切りの人参は炒めてきんぴらに。もう半分は酢やオリーブオイルと混ぜてラペに。
むね肉は美味しそうな甘辛揚げができた。下味冷凍も新しい味に挑戦できた。
他にもほうれん草でおひたしも作ったから今週も乗り切れそうだ。
炊きたてのご飯をよそい、出来立てのおかずをお弁当箱に詰めていく。
うん、それなりに美味しそうだ。

大人になった私は数年前に一人暮らしを始められ、やっと料理をできるようになった。
好きな人や家族に手料理を振舞い、美味しいって言ってもらえてすごく嬉しかった。
自分の意志で服も選べるし、入浴剤を入れてゆっくり湯船につかることもできる。

時々たくさんの「なんで」に押しつぶされることもある。
だけど大人になった私はこうして幸せに生きているから、11歳や17歳の子供だった私の「なんで」を1つずつ昇華して前に進めるよう、これからも私はキッチンに立ち続ける。