毎日、キッチンに立つのを『楽しい』と感じられるようになったのはいつからだろう。
在宅勤務が終わって、鶏肉のみぞれ煮をフライパンで煮詰めながらぼんやりと考えてみた。
大根おろしに甘じょっぱいタレが絡まる香りをかぐと、古い記憶が蘇る。おいしい料理の香りがつらくて、空腹に涙した日のことを。
◎ ◎
中学2年生の夏。
あの日に作っていたのは、レトルトのパスタだった。
一人っ子で、両親は共働き。ひとりきりの夏休みは、慣れない手つきで作る昼食が日課だった。
とはいってもメニューはシンプルで、オムレツやレトルトパスタが定番。レシピと格闘しながらミートソースを一から作った日は、自分がとんでもなく偉い人になれた気がした。
あの頃は気づいていなかったけれど、県大会常連校のバレーボール部に所属して、毎日腹ペコで練習を終える生活をしていた私がそこまできちんと料理をしていたのは、帰ってこない両親への当てつけのような感情が大きかったと思う。
『私は両親がいなくても、こんなにおいしいごはんを自分で作って食べることができる』『何だったら料理下手なお母さんが作るよりも、私が作ったごはんの方がおいしい』ーー。
人一倍寂しがりで、なのに幼少期から両親がいない生活に慣れすぎてわがままを言えない子供に育った私は、そんな鬱屈とした動機で料理を作っていた。
◎ ◎
今でも忘れない。
午前中、いつもより一段ときつい夏休みの練習を終え、同じ部活の仲間と帰路につく。また明日ね、なんて挨拶して別れた友人たちはそれぞれ家に帰って、きっとそれぞれのお母さんに「先にシャワーでも浴びてきなさい」なんて促されて、風呂から上がったらお母さんが用意してくれたほかほかのごはんが出てくるに違いない。何度も遊びに行った友人の家、間取りからお母さんの料理の味まで手に取るように想像できた。
でも、私が帰ってきたのは明かりすらついていない、しんと静まり返った家。シャワーを浴びてから食べるのは、冷蔵庫に眠っていた昨日の夕飯の残り。
ひどく情けなく思えた。
そしていつもの意地、『両親がいなくても、私はおいしいごはんを作れる』。シャワーを諦め、県大会前の練習をこなした体に鞭打ってパスタを茹で始める。
だけど、そこが限界だった。
リビングに広がる、むせかえるようなパスタの香り。べたべたの身体を抱えて、空腹に耐えかね、わんわんと声を上げて泣いた。情けなくて、寂しくて。
私の方が、料理が下手なお母さんよりおいしいごはんを作れると言い聞かせていた。だから毎日ごはんを作らなくちゃいけない夏休みは、決して不幸なんかじゃないって。
でも、でも、やっぱり、ひとりで全部やるのは、しんどいーー。
◎ ◎
あの頃の私は、自分が人一倍寂しがり屋なことを自覚できていなかったのだと思う。だから屁理屈をこねて、自分がひとりでごはんを作って食べなければいけない寂しさを、正当化しないといけなかった。
成長して、自分の性格を理解して、共に分かり合えるパートナーにも恵まれた。
みぞれ煮が煮詰まってくるのを香りで感じながら、食卓にごはんを並べる。あの頃の私の強がりは本当だった。料理下手なお母さんのごはんより、ずっとおいしそう。
でも、どんなに仕事で疲れても、もう私はキッチンで泣くことはないだろう。
大根おろしが絡む鶏肉は、甘じょっぱくて。「おいしいね」と笑いあった。
もう、私はひとりじゃない。