ひとり暮らしを始めた。
家賃五万のキッチンは何をするにも手狭だけれど、がんばればなんとかならないこともない。新しく設置したキッチンワゴンと、時にはテーブルまで駆使しながら私の自炊生活が始まった。

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料理の腕はまずまずだと思う。手際は悪いし目分量が圧倒的に下手という不利すぎる弱点はあるけれど、私一人で食べる分にはさほど困らないだけのスキルはある。

そもそも私が本格的に料理を始めたのは高一の秋で、委員会の先輩が「母お休み週間」なるお母さんが一切の家事業務をお休みするという期間に際し、自分でお弁当を作ってきた話に危機感を覚えたからだった。

先輩とはひとつしか違わないのに、いまの自分は自分でお弁当が作れない。その事実にぞっとした私は母に頼み込んで週に一回、夕飯を一品教えてもらうことになった。さすがに週一では続かなかったけれど、積み重ねていくうちにノートに書き記した母のレパートリーは増え、いつのまにか家族の夕飯をすべて時間内に作り切ることができるようになっていた。

もちろんそこに至るまでには指を切ったり、みりんは酢では代用できないことを実地で学んだりといろいろなことがあったわけだが、おかげでひとり暮らしを始めて数ヶ月、なんとか自炊が出来ている。

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新卒一年目の手取りは悲しくなるくらい少ない。ひとり暮らしをするのもかなりぎりぎりだから、節約のために自炊は必須事項だった。冷蔵庫の中のものを見てその日の夕飯を決めるスキルは私にはないから、一週間分の献立を考えて買い物に行くのが週末のルーティンになった。

仕事がある日は帰ってきても大がかりな作業は出来ないから、前日に準備できる簡単なものを。この曜日は仕事がきついから、日持ちするものと作り置きで賄おう。ということは今日中に作り置きのおかずを何品か作っておきたい……。
頭をフル回転させながらふと思う。仕事をしながら一家五人分の食事を準備していた母のなんと偉大なことか。もちろん時にはお惣菜だったり和えるだけの調味料だったりを上手く使ってはいたが、それでも母は基本毎日キッチンに立って料理をしていた。みんなが満足する量を栄養の偏りがないように作るだけでも難しいのに、それを仕事終わりにこなしていたかと思うと頭が上がらない。しかも目と鼻の先で家族は疲れただのなんだの言ってぐうたらしているのに、である。

そして時には仕事終わりの空腹で機嫌が悪い偏食気味の私に献立の文句を言われることもあった。本当にあの時の私はいったい何様だったのだろうか。こうしてひとり仕事終わりにキッチンに立つと嫌でも考える。母はあの時何を思ったんだろう。振り返っても文句を言う娘もだらける家族もいない私にはその感情はわからない。ただひとつ確かなことは、母は結婚してからの26年間、ほとんど毎日キッチンに立ち続けているということだけだった。

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まな板と包丁を出して具材を刻む。母のようにリズムよく、とはいかない音がキッチンに響く。どれだけ仕事で疲れても私が作らなければ夕飯がない生活は、思っていたよりも苦ではなかった。

ただ、家族がいたら話は違ったと思う。ひとり暮らしの私は最悪の場合コンビニでもいいけれど、家族がいてはそうもいかないだろう。そもそも仕事終わりに家族に夕飯を作るなんて芸当は私にはできない。母が私を産んだ年齢を超えたいま、まだまだお嫁には行けそうにない娘の私である。
結局のところ母は強く、私、完敗。
ひとり苦笑いする私の手元で、野菜が大きすぎる大量のシチューが完成した。