私はあまり家事が得意ではない。得意ではないどころか、結婚をして3年ほど経つ29歳の私は、ろくに夫に手料理を食べさせたことがなかったのだ。発達障がいを持っていて、得意・不得意が顕著だということを鑑みたとて、さすがに妻という役割のレベルではない存在、それが私だった。

お互いに二度目の結婚となった現在の夫は非常に料理が上手で、冷蔵庫をガパッと開くと、すぐに夕飯の献立を決めてしまう。私には到底できない芸当だ。しかも即席で完成する食事はどれも美味しく、なあんだ、私なんかが作らなくてもいいじゃないか、と思ってしまった。しかし、そのお花畑のような考えが地獄を呼ぶ。

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夫の仕事は日増しに忙しくなり、一方で私は完全なリモートワーク。しかも副業をする時間の余裕すらあった。それなのに、私は一向に家事をせず、生ごみが溜まっていようと、油まみれの皿が積まれていようと、「やらなくては」の気持ちが1ミリも湧かなかったのだ。そんなある日、いよいよ夫が爆発した。

「家事をやらないならいらない」「一人で暮らした方がよほど楽だ」と、普段気の長い夫がわめき散らしたのだった。私はつられて怒り、そして悲しんだ。なぜそんなことを言うの、と泣きながらすがりつき、私と夫は何度も何度もぶつかりあった。キッチンからただよってきていた美味しそうな香りは、しんと黙り込むように消えていったのだった。

私は幼いころから、冷凍食品やできあいの総菜を頻繁に食べていた。そういう家だったのだ、としか言えない。「作れないなら買えばいい」「面倒くさいならレンジでチンすればいい」と、ずっとそう考えて生きてきた。しかし、夫は違った。どんなに簡単なものであっても、キッチンに立って、食材を切って、時には失敗しながらも食べる人のことを考えて作る。そういう人だった。

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どうにも腑に落ちないところはあったが、私は夫に少しでも喜んでもらわなければならないと思うようになった。そして、何から手を付けていいかもわからないままキッチンに立った。冷蔵庫を開け、野菜室を開け、冷凍庫を開け、目についたものを握りしめたスマートフォンの検索バーに打ち込んでいく。出た。これなら作れるぞ。私は簡単で人気のレシピを探し、小さな文字を必死に見つめながら料理をした。まともだ、と我ながら思った。

レシピ通りに調味料を入れたはいいものの、はたして火加減はこれでいいのか、そもそも鍋の大きさは適切か、など不安は尽きない。煮汁が沸騰しはじめるころには、気づくとキッチン中がふわっといい香りに満ちていた。しょうゆ、みりん、酒、砂糖、こんぶ。

「美味しそう」。私は無意識でそう言葉に出していて、その途端、涙が出てきた。そうだ、夫がキッチンに立っている時、いつもこんなふうにいい香りがしていたなあ。そうして私に言うのだ、「ほらご飯できたよ」。ああ私もちゃんと作れたのだとわかったとき、私はお気に入りの歌を口ずさんでいた。

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それから、私はなるべく毎日夕飯を作るようになった。肉が焼ける音や換気扇の音、くつくつと味噌汁が熱くなる音が聞こえる程度に音楽をかけ、合わせて歌いながら料理を作っている。時にはミュージカル歌手のように、時にはロックアーティストのように。キッチンはもう苦痛な場所ではなく、楽しい場所に変わっていた。