私は小さい頃から本を読むという習慣がなかった。そんな私が齧り付くように何度も読んだ本がある。それは朝井リョウさんの「時をかけるゆとり」だ。
この本は朝井さんの学生時代のエピソードを面白おかしく、自虐的に描いたエッセイ集である。

この本に出会ったのは高校時代、所属していた放送部の大会で朗読する本を選ぼうとしているときであった。
朗読する本は自分が住む「埼玉県」にゆかりがある作品でなければいけない。本を読む習慣がない自分には、何か興味があることが絡んでいないと読み終える自信がなかった。また、短編集でない本だと、本を読む人からすれば長くはないのだろうが、自分は確実に途中で飽きてしまうと思った。
そのため、「興味があることが絡んでいる」「短編集」という条件で本を探し始めた。そして、見つけだしたのがこの本である。

ラジオでこんなに面白い人の本は面白いに決まっていると、即購入

というのも、ラジオが好きな私はテスト期間になると、勉強のお供に朝井さんがパーソナリティを務めるラジオを聞いていた。朝井さんの作品に関してはタイトルとアニメ化されたものぐらいしか知らなかった。
だが、「ラジオでこんなに面白いトークをする人の本は面白いに決まっている」という自信の元、埼玉県にゆかりのある作品を書いていないか調べだした。すると、偶然にもこのエッセイ集の中に、埼玉県のキャンパスからスタートして100キロを歩くという大学のイベントに参加したことが描かれているということを知った。

これは読むしかないと即購入。読んでみると、本人からしてみれば恥ずかしくて仕方ないであろう失敗談ばかり。それなのに、それを自虐的に面白おかしく描いているものだから、声を出して笑わずにはいられなかった。何とか笑いをこらえつつ読み終わり、朗読したい候補を選び出した。

後日、顧問の先生に相談したのだが、どれも表現が公共の場で読むには少し汚いということで見事に却下されてしまった。ということで、その大会は別の本を選んで出場することになったのだが、1年半後、この本を読んで本当に良かったと思う機会がやってきたのだ。

絶望的なセンター試験の点数に、この世の終わりくらい落ち込む帰り道

あれから1年半後の私はセンター試験を終え、塾に行き自己採点をして落ち込んでいた。少しではない。この世の終わりとしか思えないほどである。
なぜなら、過去問を解いた時でも出したことがないような、これまで見たことがない点数をたたき出してしまったからだ。それも1教科ではなく、受けた科目すべてである。国語に至っては、「センター試験ってどんな感じか知ってみよう!」と言われて1年生の時に解かされた時よりも低い点数であった。
その時は「今、この点数なら、どこの大学にも受かるわけがない」と途方に暮れていた。

帰りの電車、始発駅なので席は選び放題。一番人が来なさそうな車両を選び、気分転換にと、好きなアイドルのラジオを聴いた。そこから流れたその日、初公開のラブソングの今日を記念日にしようというような歌詞に「なんで今日なんだよ!!」と怒りながら涙を流し続けた。その日もその翌日も、翌々日も毎晩のように泣いた。

失敗してもいつかネタにして笑えればそれでいい。あの本から学んだ

泣いていても刻一刻と受験日は近づいてくる。だから、いつものようにラジオを聴きながら、何とか涙を堪えて勉強した。
いつもの流れで聞き出した朝井さんのラジオ。聴きながら、ふとあのエッセイ本を思い出した。そして、「朝井さんならきっとこれもネタにしてしまうんだろうな」とおもい、クスッと笑えた。
そして、思い出した。“失敗してもいつかネタにして笑えればそれでいい”。そういう生き方をあの本から学んだんだと。今、私がやるべきことは“いつかこのセンター試験の結果を笑い話にできるよう”、勉強して、個別試験を頑張ること。そうして、気持ちを切り替えて、見事、第1志望ではないものの何校か合格を勝ち取ることができた。

そして、なにより、どんな失敗をして落ち込んでしまっても、次の日には笑い話にできるような強靭なメンタルを手に入れた。この「時をかけるゆとり」が私を後ろばかり気にせず、未来で笑っているために前向きに生きる自分にしてくれた。