運が良いか悪いかで言えば、私は多分悪い方だと思う。

小さい頃から石があれば必ずつまずいた。先生に面倒事を押し付けられることも多かった。いじめも受けた。
そして、花盛りと呼ばれる10代後半にうつになった。毎日がどん底だった。SNSで同級生のアカウントを見る度に、「なんで私ばっかり」と絶望していた。
ただひたすらに、壁に頭を打ち続けていた。

◎          ◎

でも今、私は生きている。
それは何故なのかと言うと、"推しがいたこと"が大きい。

"推し活"は今では流行の1つとなっているから、きっとこれを読んでいる貴女にもそういった存在がいるのではないかと思う。
貴女にとって"推し"とは何か?
元気をくれる存在?学校や仕事へのモチベーション?擬似恋愛対象?きっと推している人の数だけ答えがあるだろう。

私にとって"推し"は、生きるために無くてはならない存在だ。

◎          ◎

話は10歳まで遡る。ちょうどその頃に私は"推し"と出逢った。
きっかけは母が知り合いから借りてきたコンサートDVDだった。センターでもなく歌割りも一番多い訳でもない、でもいつもニコニコとしている1人に目を奪われた。気づいたらその人ばかり目で追っていた。それが彼との出逢いだった。
初めて自発的に会いたいと思った。幸い、母が理解のあるタイプだったのでコンサートにもすぐに連れていってくれた。
初めて彼を観た時の衝撃は今でも忘れないし、忘れたくない。

それから、卒業式も入学式も人生の節目には全部彼がいた。もちろん、いじめられていたときも。彼は変わらず私の中で大きな存在だった。
そしてそれは、うつになってどん底だったときも変わらなかった。
うつになったとき、私は多くの趣味を楽しめなくなっていた。
大好きだった読書も絵を描くことも全くできなくなった。薬の副作用で毎日身体もだるくて、1日のほとんどを布団の上で過ごしていた。
そんな中でも、彼が出ている番組は必ず観ていた。自然とその時間にはテレビを付けていたくらい、私の生活に深く根付いていた。

久しぶりの通院以外の外出はコンサートだった。
コンサートに行きたいと言ったときも、両親は何も咎めなかった。働けていなかったので収入もなく、なけなしの貯金では足りなかった私にお金まで貸してくれた。
座席は良くなかったが、特別な思い出になった。気づいた時には涙で顔がぐちゃぐちゃだった。何度もありがとうと伝えた。
結果的にこのコンサートの数ヶ月後にうつは治り、私は働けるようになる。

◎          ◎

もし、あのままコンサートに行かずに家に籠っていたとしたら、さらに塞ぎ込んで私はもうこの世にいなかったかもしれない。
そう考えると「彼に出逢えたこと」が、私にとって何よりの"幸運な出来事"だと思わずにいられないのだ。
もし、人の一生のうち得られる幸せのキャパシティが決まっているのだとしたら、きっと彼に出逢ったときに私は8割方埋まったのだと思う。
運の悪い私が、唯一自分で掴んだ最高のラッキーだ。

うつが完治してから、もう何年も経つ。
その間1回だけ再発したが、2ヶ月ほどですぐに立ち直った。
転職もして、今年の4月からは新たな道に進み始めた。
今でも彼のことは大好きだ。ちゃんと自費でコンサートも行けるようになった。
彼のおかげで私は人でいられている。
どん底の私を引っぱりあげてくれた彼には感謝しかない。

いつからか、自分の誕生日にはその年齢の彼をDVDで観るようになった。
私の人生とは全然違い、キラキラした彼が映っているので少しだけ落ち込むのだが、「よし、また1年頑張るぞ!」と、逆に気合いが入る。
人を愛して信じる彼のように生きるのは、私にはできないけど。
それでもどうしても少しだけ彼に憧れてしまうのはここだけの話として、どうか秘密にしておいてほしい。