午前5時。旦那と生後6か月の娘が寝静まっている時間、私はキッチンに立つ。
毎日、3食分のご飯を準備する家事から1日が始まる。昼のお弁当、夜のおかずを一気に作り終えると、朝食用に買ったパンを2種類取り出し、半分に切る。少し大きめの片方をさらに一口分だけ切って、口に入れる。残りは、旦那の皿に盛りつけて完成させる。
小さい頃から、パンには目がない。話題の、あるいは新しくできたパン屋をインターネットや雑誌でリサーチしては、休日に巡るほど。
だけど、1つ分食べきれない。「これを食べたら、太っちゃう」。強迫観念に駆られるのだ。
料理を一目見ると、おおむねのカロリーが計算できる。生きる上で必要のない特技。むしろ、楽しいはずの食の時間を邪魔する能力だ。
家族や友達と食事に行く日は、朝から落ち着かないほど縛られていた時期もあった。きょうは何を食べに行くのか。店にはどんなメニューがあるのか。事前に行く店が決まっている時は、店のホームページを検索して、注文する料理をあらかじめ決めておく。カロリーや足りない栄養素を把握し、1日で調整するためだ。高カロリーなご飯に誘われると、何かと理由をつけて食事会を回避し、体重増加が続いている日は、食べる気になれず、食事の約束を断ってしまうこともあった。
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本当は、食べることが好きだ。グルメを楽しみたい。だけど、無駄なカロリーは摂取したくない。自分が食べたいと思うものだけを口にしたい。
病院で診断された訳ではないが、摂食障害に近い症状だと自覚している。日常にある「食べる」を普通にできない状態が15年以上続いている。誰かに話したところで、きっと理解されないだろう。もう、諦めている。
中学生時代の部活動が、私の人生を変えてしまった。
学校でも、練習が厳しいと有名だったバレーボール部に入部した。練習は正月を除く363日。ボールを使う時間と同じくらい、体力づくりのためのマラソン、筋力トレーニングを課された。
とある年の正月明け、大会前の身体測定があった。食べ盛りだった部員の半数以上が見事に正月太りし、2か月前の数値から5キロ以上増加していた。
「太るのは生活の乱れ。正月で緩んだ心と体を鍛え直せ」
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顧問の言葉は、相変わらず厳しく、部を挙げてのダイエットが始まった。当時、どちらかといえば痩せ型で、大幅な体重増加がなかった私には不必要だったが、真面目な性格から顧問の言葉を真に受け、翌日から間食をやめた。パン、チョコレート……。食べたいけど、我慢。甘党の欲を抑えるため、美容や健康にいいと言われるココアを飲んでしのいだ。
成果はすぐに出た。1か月で2キロ減。「ダイエットって、結構簡単なのかもしれない」。その経験が危険な道へ導いた。それから、食事制限も徹底するようになった。野菜を中心としたおかずだけに手をつけ、茶碗に盛られた米は半分残す。心配した母は、食べるよう何度も説得してきたが、何かと理由をつけて食べることから逃げた。
気が付けば、身長148センチ、体重は30キロ近くまで落ちていた。
「食べないなら、病院に連れて行くから」
母の決意を受け、引退と同時にダイエットをやめた。最初は食べるのに抵抗があったが、菓子パン、チョコレート菓子、生クリームやバターをたっぷり使ったスイーツ……。今まで我慢していたものを一度解禁すると、抑えられなくなり、毎日のように食べ続けた。気付けば、半年後の中学卒業時には10キロ、さらに1年後10キロ増えた。
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「痩せないと」。思えば思うほど、食への執着が強くなり、食べる手をとめられなかった。一方で、「太っている人がたくさん食べたら、はしたない」。人前では小食を装った。友達と食事してもおなかは満たされず、帰宅後、再び食べた。
年を重ねるにつれて、一時期の異常な食欲と別れを告げられ、体重もある程度戻った。
いまだに、過度な食事制限をしたり、はたまた過食してしまったりする時があるものの、結婚して食事を提供する側になり、大きな変化があった。食を通して、家族の体だけでなく、心も健康にしたいという思いが強くなった。日々、栄養バランスの取れた食事を作るようにしているが、たまにはそんなこと気にせず、旦那の好きなものだけを並べる日も設けている。
キッチンに立つ私が、食を楽しめないでどうする。たまには、パン丸ごと1つ、平らげたっていいじゃないか。