私はぼんやりと高校生の頃から小説家になりたかった。それまでも小学生の頃に見た「耳をすませば」がきっかけで、なんとなく小説家に憧れを持っていた。
高校生の時は文芸同好会という小説を書く部活に入っていた。基本的にこの部活は活動がない。年に二回高校の冊子と文化祭の冊子に載せる小説を家で書いてきて会長に小説のデータが入ったUSBを渡す。それだけの部活だった。たまにだらだらと部室で会員と喋ったりすることもあるが、ほぼ活動はないに等しい。
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私の処女作は本当に暗くてなんのメッセージもない作品だった。少女が仲間はずれにあい、現実から逃れるために妄想にとりつかれ、妄想のせいで死んでしまう話だった。私はそれを書くまで、私には書ける、と思っていた。
しかし、書いてみて絶望した。自分ってこんなに才能がないのだな、と。高校の先生から講評をもらう機会もあるが、酷評された。大体会員全員の作品がいつも先生から酷評されるが、高校2年の時に後輩1人だけが先生から褒められたことがあった。なんでこんな小娘に、と当時は思った。自分も小娘だったが。まあ確かに彼女の作品はメッセージ性があり、構成も私よりうまかった。このように私の高校時代の小説活動は苦い思い出だった。
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私は第一志望の大学に受かる見込みがなかった。私は浪人するか、もっと下の大学を受けるか選択を迫られたが、後者を選んだ。理由は受験に疲れていたのと親からの浪人をするなという圧に負けたのもあるが、早く小説家になりたかったからだ。おこがましいが最年少で何かの賞をとりたかったのだ。あのレベルの小説で。大学に入学し、私は小説を書くはずだった。しかし、大学に入った私は小説を一字も書かなかった。遊んでいたわけではない。自分でもなぜ書かなかったのかよく分からないが心に余裕がなかったのではないかと思う。1字も書いていないのに、私は周りの人達に「小説家になりたい」と言いふらしていた。書けない、書く気が起きない、でも小説家になりたい。そんなことばかり考えていた。
空白の4年間を過ごし、私は大学を卒業したが、事情があり、田舎の実家でニートになることになった。「私は今こんなだけどいつか小説家になる」。それだけを心の拠り所にしてぼんやりと眠りながら過ごしていた。
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私は気づいたら小説を書き始めた。再び歩き始めたのだ。徐々に読書量を増やし、小説の技法の本を読み、小説の賞にも応募し始めた。書いてみて再び才能のなさを実感した。何回も絶望した。時々書かなくなることもあったが、不思議と気づいたらまた書き始めていた。小説の賞はとれなかった。しかし、何作か書くうちに「もう一歩」の作品に選ばれるようになった。といってもまだ2作しか選ばれていないが。つい最近私はnoteに小説を投稿するようになった。
すると、スキを何人かにしてもらえるようになった。さらに私の有料の小説記事を買ってくれる人がたった1人だが現れた。とても嬉しかった。もっといい小説、たくさんの人の人生のためになる小説を書きたいと思うようになった。私は何があっても死ぬまで小説を書き続けようと思う。それが、私の生きる拠り所なのだ。
いくつでなれたとしても小説家になれるのは素晴らしい。きっと私の小説はいろんな人に届く、そう信じて私は今日も小説を書く。