サンキューコロナ、でもやっぱりノーサンキュー。

私と彼はコロナのおかげで出会えたといっても過言ではない。
2020年4月、コロナが猛威を振るい、人類はこの未知のウィルスに対する手段を持たなかった。

ヨーロッパのロックダウンが始まったニュースをぼりぼりとポテトチップを食べながら見たある日、私のドイツ留学は突然終わりを告げられた。
わんわんと泣き出す留学生もいた。そこで学校は代替策として、「2020年10月に補講期間を2週間ほど設けるので、そこに参加してみないか?」という話を我々留学生に持ち掛けた。私はイエスと答えた。

コロナのおかげ(?)で補講期間が設けられたから、私は彼に出会えた

そして時間が経ち、私は10月に無事ドイツに渡航することができた。
そこで9月に入学してきた彼と出会った。
同じアジア圏からの留学生である彼とは、留学期間中の悩みや苦しみなど同じアジアに住む人として分かり合えることで話が盛り上がった。
何やらビビッと来たのか、我々は出会って1日で交際(?)が始まった。こんなに早く決まるのはいままでにないことだった。

「もしコロナがなかったら我々は出会わなかったよね」
ある日の夜、彼からその言葉が出た。確かにコロナのおかげ(?)で補講期間が設けられたことで、私は彼に出会うことができた。彼もコロナのおかげで留学を決めたとのことだった。
コロナがなかったらインドに旅行に行っていたらしい。そこはサンキュー、コロナと言うべきか。
そして2週間が経ち、私の補講期間もまもなく終わりに差し掛かっていた。
私が日本に帰国する日が近づくたびに、彼は「きみが帰国する日まであと2日だね」と日数を口にしてきた。

私は正直その言葉が大嫌いだった。その言葉を聞くたびに現実に引き戻される感覚になった。彼は「それでも口にしないといけない。この現実を受け入れて心の準備をする方が君のためだ」と言ってきた。
そうして私は、私たちは離れ離れになり、しばらくは会えなくなるということに対する心の準備を整えておいた。

帰国日、夜通しのおしゃべりも、少し焦げたキムチ炒飯もいい思い出

私が日本に帰国する日。私たちは前日から一睡もせずにおしゃべりをしていた。朝日が見え始めたころ、彼がこういった。
「朝ごはんに何食べたい?」
私は考えこみ、そしてこう答えた。
「あなたが得意なキムチ炒飯」
彼はにっこりと笑ってキッチンに飛んでいった。
私たちは彼が作ったキムチ炒飯を二人で分け合って食べながら、2週間のうちで楽しかったことを話した。彼の作ったキムチ炒飯はちょっと焦げていたけど、それもいい思い出の一つとして心にしまい込んだ。

彼は駅まで見送りに来てくれた。
不思議と涙は出なかった。これは彼が愛のむちとして私に心の準備をさせた成果かな。
そう感慨深くなりながらも、そのことを彼に伝えた。
彼は何やら悩んだ顔をしたあと真顔になって「まもなく電車が来るから荷物の準備をしたほうがいいよ」と言ってきた。私は電車を見やり、その通りだと思ったので荷物に手をやると、すっとピンクの手紙が視界に入ってきた。

9か月経った今も彼に会えず。そこはノーサンキュー、コロナさん。

もうだめだ、私は泣いてしまった。
電車のドアが開く。私はその場に立ちすくんでしまった。
彼はすばやく私の手にそれを握らせ、私を電車に乗らせた。
「電車の中で手紙を読んでね。6月に会おう!愛してるよ」
動き出す電車の中から彼がそう言うのを見た。遠くなる彼をあふれ出す涙の中で見つつ、私はその場にへたり込んだ。

それから9か月近く経つが彼にはまだ会えていない。
6月に会うこともかなわず、我々はいつ会えるかもわからない状況に置かれている。
6月に会おうね、から8月に会おうね、になり、そして11月に会おうね、ということになり、いまはそのことを話さなくなった。
我々は期待することをやめた。今の一日を大切に、話したり、ビデオ通話で笑いあったりとポジティブに生きるようになった。

そこはノーサンキューなのだよ、コロナさん。