春だ。春といえば八百屋だ。旬の食材が並んでいると、心が躍る。
今年の少し暖かい日が続く春、八百屋の店先で、ホワイトアスパラを見た。みずみずしさがその白色からしっかり伝わって、手に取った。
195円です。195えんでーす、と、若い店主の子供と思しき3~4歳の男の子が、繰り返して言っていた。
さて、じゃあ今夜はホワイトアスパラだ。学生時代にバイトしていたビストロで、オランデーズソースと一緒に出していた。オランデーズソースって、家で作れるのかな。そう思ってスマホでレシピを検索していたら、LINEが入る。
「今日本当に会いたい?」
隣の部署の部長から。
「わたしはいつでも会いたいですよ」と、嘘か本当か自分でもわからない返信をする。
憧れの上司とのサシ飲み。軽い気持ちでキスをねだり家に誘った
隣の部署の部長は、入社当時から憧れだった。容姿端麗、仕事が抜群にできて、取引先とのパイプも太く、あの人がいなければ我が社は回らない。当然後輩たちの憧れの的で、彼を目標にみんな働いていた。
わたしもその1人。顔を合わせると、「飲みに連れて行ってくださいね!」と冗談口調でお願いをしていた。
そんなあの人と、なぜか最近、セフレになった。厳密に言えば、挿入なしで、ソフレというやつか?
昨年度末、念願のサシ飲みが実現した。憧れの部長で、嬉しくて嬉しくて、あの部長から、スキルをたくさん伝授してもらおう!とやる気満々だった。
でもわたしは自分の女性性を強く意識しすぎていた。普通に飲みに行って、普通に仕事のアドバイスをもらって、やる気を燃やさせて貰えばよかったのに。
せっかく2人で社外で飲みに行けるなら。せっかくだし……。
たくさんビジネススキルを伝授してもらった後、そんな軽い気持ちで、キスをねだってみた。部長はびっくりした顔で、「どうして?いいの?」としきりに何度も確認しながら、それでもキスをしてくれた。
やったあ。
その後わたしの家の前まで送らせてみて、家に入るように誘ってみて、挿入なしだけれどたくさん愛してもらって……。
やったあ。
この関係が心地いいけど、別に部長のことを真剣に好きなわけではない
「傷つけたくないんだ。でも可愛く見えてしまう」
何度もそう言って、傷つけない方法というのが挿入しないということなのが少し面白いけれど、優しく優しく、女の子扱いしてくれた。
やったあ。みんなの憧れの部長でも、女性性をフル活用すればいけるんじゃん。軽い気持ちのわたしは、そんな軽い気持ちでキスしてもらって、服を脱いで。
その日から、大体1ヶ月。割と頻繁にわたしの家に来ては、最近流行りのテイクアウトで晩酌をして、大真面目に仕事の話をしたり、低俗な噂話をしたり、わたしの終わってしまった恋の話を聞いてもらったり。
実は結構その関係は心地よくて、でも別に部長のことを真剣に好きなわけではないから、本心からの「会いたい」を言うわけでもない。噂によると部長には長年のパートナーがいて、それがまた一つ、お互いをこの曖昧な関係に繋ぎ止めている。
「傷つけたくないんだ」
誰を?わたしを?顔も名前も存在も知らない、部長のパートナーを?
好きでもない男と死ぬほどの回数キスをして、私の指から味見をさせて
でも彼はうちにやって来る。今度のテイクアウトメニューは焼き鳥だった。
焼き鳥とホワイトアスパラ。何だか春っぽい取り合わせですね。そう言ったら、「焼き鳥は違うでしょ」と笑っていた。
オランデーズソースは、結構簡単に作れた。卵黄3つ。バター60グラム。白ワインを大さじ2に、レモン汁と砂糖を少しずつ。ゆっくりゆっくり湯煎しながらかき混ぜる。その間に、何度も何度もキスをした。
キッチンに、好きでもない男がいて、その男と死ぬほどの回数キスをして、指にオランデーズソースをつけて、わたしの指から味見をさせて。
なんて官能的なんだろう、キッチンと性愛という取り合わせは!とひとり胸の内で恍惚とした。
赤ワインと焼き鳥とホワイトアスパラとオランデーズソース。
季節は間違いなく春で、キスはしたけれどもセックスは最後まではしていない男が、わたしの家のキッチンにいる。
多分毎年、ホワイトアスパラの季節になると、この人のことを思い出すんだろう。
自分の女性性がどこまで通用するのか、興味本位にキスをねだった、愚かしい自分のことも。
ところで、旬のホワイトアスパラは、当然とってもおいしかった。