昔から夢見がちな性格で、田舎で生まれた私は、とにかく外の世界のキラキラしたものに憧れを抱いて育った。
映画の中に出てくる、自分が見たこともない世界。テレビや雑誌で紹介される他国には、知らない文化と人生に溢れていて、幼い私が行きたいと思った国は数えきれない。

その中でも特に憧れた地域がある。それは、誰もが一度は行くことを夢見ると思うヨーロッパだ。
歴史あるオシャレな外観に、流行の最先端という肩書き。数多ある国の中でも“ヨーロッパの国”であれば、幼い私にはとりわけキラキラした世界に映った。

憧れのイタリアで見た、周りを気にせず愛を囁く恋人達

大きくなったら、絶対にヨーロッパに行く。
幼い自分の宣言通り、私はわざわざ長期休みが取れる職場に就職を決めた。

そして3年前、就職して半年ほど経った私はお金を貯め、ついにヨーロッパの地を踏んだ。
友人と話し合い、決定した行き先はイタリア。
5日間と短い期間だったが、観光に食事、やりたいことは数えられないほど溢れていた。
片道15時間以上も飛行機に揺られ、ついに憧れの地に踏み入れた時、どこもかしこもフォトジェニックな街並みに、写真を撮る手が止まらなかったのを覚えている。

けれども、楽しみだった街並みやアートではなく、何より私を一番驚愕させたものがある。
それは街行く恋人達の、堂々としたイチャつきっぷりだ。

街の至る所で、愛を囁く彼ら。商業施設の大きなエスカレーターに乗れば、およそ3組以上は熱いキスを交わしている姿に「え、ちょちょちょ。こんなところでキスするなんて」とこちらが恥ずかしくなることもしばしばあった。

しかし、彼らの誰もが街に自然に溶け込み、また周りも彼らを別に特段意識することなく生活していた。
中には、男性同士や女性同士でも堂々と手を繋いだり、腕を組んで歩くカップルの姿もあった。リラックスしてデートを楽しむ姿に、純粋な気持ちで羨ましいと思い、周りの目を気にせずお互いの時間を大切に過ごす、彼らのような人になりたいと思った。

人前でイチャイチャしないという日本の暗黙の「ルール」

日本では、公の場ではあまりイチャイチャしないという暗黙のルールが存在している。
実際に私の友人でも、外では手も繋がないという人が多い。
私は、恋人や好きな人とはデート中、少しでも触れ合っていたい人間だ。もちろん、TPOは大切だと理解できるが、だからといって外では手も繋ぎたくない、という意見は少し寂しいと思う。

ある時、私は「どうして人前で手を繋いだりといった行為をしたくないの?」と友人に理由を聞いたことがある。その答えは「みっともないから」というものだった。
「だって、可愛くもカッコよくもないカップルが街でイチャイチャしてたら、見苦しいじゃない。そんな風に思われたくないわ」

友人曰く、イチャイチャすることで、周りから何か悪口を言われてやしないかと不安になるらしい。気持ちは理解はできるが、それでは付き合っているお互いではなく、周りの目を気にしすぎている気がする。そもそも見苦しいとは誰が決めたのだろうか。

もちろん、泥酔して他人に迷惑をかけるようなカップルは見苦しいとは思うが、単純に日本人でも、容姿に優れていなくてもお互いの信頼感が滲み出ているカップルは単純に素敵だと思う。
付き合いたてで、お互いのことが好きで好きで仕方がない時はあると思うし、街中でそういった若いカップルをみると「若いな」とは思うがイラっとはしない。
たまに街でイチャイチャする人がいるとイライラする、ということを言う人がいるが、私は赤の他人にイライラする精神状態や、そう思わせてしまう暗黙のルールの方が問題だと思う。

大事なのは私とあなた。いつかパートナーとイタリアの地を踏みたい

大事なものは、自分と大切なあなた。他は関係ない。
イタリアで、シンプルで、美しい世界観で生きている彼らを目の前にして、私は今度は大好きで仕方がないパートナーと、イタリアの地を再び訪れることを誓った。

あの街角で見たカップルたちのように、私も大好きで仕方がない人と、もう一度イタリアの地を踏みたい。
コロナが流行りだし、大好きだった旅行も行けなくなったけれど、3年前にイタリアで決めた夢はまだ諦めていない。

あれから、何度か恋をして、もしかしたらこの人は私と一緒にイタリアの地を踏んでくれるかもしれないという思いを抱く人が何人か現れては去っていった。
たくさんの人とバイバイを繰り返したけど、先日、初めてイタリアへ恋人と行くのが夢なのだという話をした。
少しずつ、海外への道が開きつつある毎日。
思い出の街へ夢を叶えに出かけられるのもあと少しかもしれない。