ヨーロッパに留学していた時のこと。12月になった現地はクリスマスムードで溢れかえっていた。町中がクリスマスの装飾で彩られ、広場にはクリスマスマーケットでお店や人が賑わっていた。12月半ばには休暇に入った。クリスマスに合わせて、留学生を含めたキリスト教徒の学生が一斉に帰省するためだ。留学生寮にいたヨーロッパの学生はほぼ全員一時帰国し、残ったアジア系の学生を中心にクリスマスパーティーを開いた。

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12月26日、街にはまだクリスマスの装飾が残っていた。1月上旬まで装飾は片付けないらしい。初めて経験する文化で新鮮だったが、「日本の12月26日だったらなあ」と思う自分もいた。クリスマスのムードは一切なくなり、師走という名のとおり、年末までに片付けるべき業務にせっせと取り組むあの雰囲気が懐かしい。

クリスマス休暇を終えた学生がぞろぞろ戻ってきた12月末、どのように年越ししようかと考えていたら、同じ寮に住む日本人留学生Tがある提案をしてきた。

「年越しくらい、日本式で過ごそうぜ」
私はすぐに賛同した。ヨーロッパの留学生が各々の国に帰ってクリスマスを過ごしたのなら、私たち日本人だって帰れない分、母国のスタイルをたまには貫きたい。「郷に入りては郷に従え」は一時停止だ。12月31日の大晦日はTとおせち料理と年越し蕎麦を作ることにした。

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大晦日当日。寮のキッチンにて、お昼頃から調理を開始した。私の担当は紅白なます、栗きんとん、(おせちではないが)鶏の照り焼き。紅白なますは簡単だし、鶏の照り焼きも留学生に何度か振る舞っていたので滞りなく調理できた。

問題は栗きんとん。おせちの中で特に好きな料理で、作ると言い出したのは私だ。しかし、一から作るのは初めてだ。実家で何度も手伝ったことがあり、大体のレシピも把握している。ここで言う「一から」は「栗の甘露煮を作ることから」なのだ。

現地のスーパーには、栗の甘露煮やそれに代替する栗の加工食品が全くなかった。マロングラッセがフランス料理にあるのだから、あるだろうと高を括っていたが、スーパーを何周してもそれらしいものは見当たらなかった。結局、量り売りされていた生栗を適当に袋に入れて購入した。一から甘露煮を作るしかない。

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栗きんとんと格闘する前に、さつまいもの下準備をすることにした。なのに、さつまいもに包丁を入れて、すぐに滅入ってしまった。断面がオレンジ色だ。この地域のさつまいもってこんな色だったのか。さつまいもの土台がオレンジ色じゃ栗きんとんじゃないよなぁ、と心の中で嘆きながら、さつまいもをサイコロ状に切り続けた。

そして、栗の甘露煮づくり。まずは水に浸けておいた栗の渋皮をむく。渋皮をむく作業は手が荒れる。子どもの頃から知っていたので最初はあまりやりたくはなかったが、いざ着手すると無心で渋皮をむき続けていた。全部の栗をむき終えるだけで一時間は経過していた。

栗を甘く煮る。また時間がかかる作業だ。同時並行でさつまいもを茹でていたが、さつまいもの方が早く出来上がってしまった。時計とレシピを何度も見て、栗に火が通っているか、ちゃんと甘くなっているか確認する。他の留学生には甘露煮を作る光景が珍しいらしく、「何を作っているの」と不思議そうに聞かれたが、適当に返答してしまうくらい栗に集中していた。

甘露煮ができた。あとは簡単だ。潰したさつまいもと栗の甘露煮、その他調味料を混ぜ合わせて完成。トータルで三時間くらいかかっただろうか。さつまいものオレンジ色のせいで見た目は少し残念だが、海外で一から作った割には上出来ではないか。

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一方、もう一人の日本人Tの担当はそば、黒豆、そして伊達巻。「伊達巻って作れるの?」って聞いたら、「はんぺんあったら作れるらしいぜ!」とのこと(はんぺんは現地で調達できた)。料理上手なTだが、果たしてどうなるのか。

甘露煮との格闘の合間に、Tと伊達巻の格闘を覗いた。フードプロセッサーか何かで滑らかになったはんぺんと卵を混ぜ合わせたものが、フライパンに流し込まれ焼かれている。その光景にTと爆笑した。焼き上がったそれを、今度は巻き簾で巻く(巻き簾も現地で調達できた)。時間を置いて、巻いたそれを切る。その断面は伊達巻だった。「海外で伊達巻を作った!」とTと爆笑した。その頃には、日本はすでに新年を迎えていた。

調理中、一時帰国を終え寮に戻ってきたハンガリー人の男子学生が「一緒に年越しをしないか」と声をかけてくれた。私たちは「日本のスタイルで新年を迎えたい」と答えた。すると彼は、「日本人にとって年越しって大切なイベントなんだね。いい新年を迎えてね」と私たちにハグしてくれた。

断ったにも関わらず、あまりにもスマートな受け答えだった。彼が去ってから、日本語でTと「待ってイケメンすぎる」「俺、惚れそう」と盛り上がって騒いでしまった。同時に、母国の文化や習慣を理解してくれたことが嬉しくて、心がじんわり温かくなった。

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全ての調理が終わり、テーブルにおせちと年越し蕎麦を並べる。おせちは新年になってから食べるのが普通かもしれないが、これで日本式で年越しを迎えられる。私とTはYouTubeで大晦日関連の動画を見ながら、おせちを食べ、そばをすすった。

1月1日。新年を迎えた。0時になったと同時にYouTubeで除夜の鐘を鳴らした。低い鐘の音で心が落ち着き、浄化されるのは、日本人の特権かもしれない。それは動画でも十分だった。同時に、外では爆竹が鳴り響いていた。これがヨーロッパ流らしい。あっという間に鐘の効果が薄れてしまった。こうして、ヨーロッパにおける日本式年越しが終わった。

夜明け前に自室に戻る。クリスマス休暇が長いためか、1月2日から大学が再開する。日本の三が日が恋しいが、授業に備える一日にしようと思いながら眠りについた。