「あの時は運が良かったから」

有名人などが、成功した後のインタビューでこのように答えることがある。このような発言を聞いて「成功したから言えるんだ」と言う人がいるが、私も全くその通りだと思う。

◎          ◎

1年ほど前の冬、私は高校3年生で大学受験生だった。しかし、高3になるまで全く勉強していなかった。

そのため、模試の志望校の判定はいつもE判定。よくてもD判定といった有様だった。さらに理系なのに特に数学が悪く、私の成績をさらに悪化させていた。  

私の高校では、夏休み前に三者面談で進路について話をする場が設けられる。参考資料である前回受けた模試の成績を前に、先生と親そして私が向かい合って座った。決して良くない成績に対し、先生が申し訳なさそうに口を開く。

「あやのが行事の時とか積極的に行動してくれているのはわかるけど……受験は(日頃の生活や態度は関係なく)一発勝負だから……かなり頑張らないと、合格はかなり厳しい……」と声を絞り出すように言った。先生のそんな顔も声も初めてだった。  

私は内気で、クラスでも目立たない存在だった。だから、文化祭や体育祭などの行事でクラスの中心となって活躍したり、友達と協力して和気あいあいと準備をしたりということは一度もなかった。

◎          ◎

でも、クラスに貢献したくて、任された仕事は全力で取り組んだ。また、みんなが帰った後、友達と一緒に掃除をしたこともあった。先生は、そんな陰の行いを評価してくれたのだ。

これまでは、行事で評価されることはおろか、クラスの輪に溶け込めていないと判断されることも多かった。しかし今回初めて評価された。このことは、私が自信を持った出来事の一つとなった。

そして、先生にもっと認められたいと思うようになった。だから、受験に関しても合格して、先生に認めてもらいたいと思った。志望校に受かりたいという思いより、先生が言いにくそうに私のことを話して欲しくないという思いの方が強かったと思う。

それからすぐに夏休みに入ったが、今までとは打って変わったように、私は勉強ばかりしていた。努力が報われて点数は上がったが、判定はDやEのままだった。  
そして、入試本番を迎えた。志望校の入試科目は、数学、英語、理科だった。

◎          ◎

まず、英語のテストが行われた。私の中では比較的得意だった英語。偏差値60近いこともあった。しかし、例年と傾向が変わり全く解けなかった。英語の試験中は、文法問題すら1問も自信を持って解答することができなかった。  
次に、苦手な数学のテストが行われた。夏休みの猛勉強の結果がここで出たのか、1つを除いて全ての問題を解くことができた。さらに、私の苦手な単元は例年より易しくなっていた。  
最後に理科のテストが行われた。理科は例年と傾向が同じだったため、自信を持って解答することができた。そして、私は無事志望校に合格した。 

さらに嘘のような後日談がある。

私は数学の最後の設問だけがどうしても解けなかった。だが、そこまで解けたのに空白で出すのがどうしても嫌だった。「正解していてください」。そう祈りを込めて、数字を適当にマークした。これが奇跡的に正解し、5点余分にもらうことができた。

数学のマーク式は、英語や理科のように答えを①〜④から選べのような形式ではなく、答えの数字を塗りつぶすという形式である。だから、まぐれで当たる可能性は0に近い。さらに、私は合格最低点だった。

もし、この5点がなかったら私は志望校に合格することができなかったかもしれない。しかし、受験に本気で向き合うことがなければ、まぐれで当たった問題が一問だけ自信を持って解答できなかった問題として心に刻まれることもなかっただろう。そして、後で運が良かったと思うこともなかった。

この受験を通して、運が良かったというのは成功の後にわかるもので、自ら行動することなしに運は掴めないということを身をもって実感した 。