私はアトピー性皮膚炎を患っている。
元々肌は弱かったが、ここ1年くらいは特に荒れ果てている。顔以外のほぼ全ての部位が痒みに侵されている状態だ。腕の痒みがおさまると、今度は足が痒くなる。足がおさまったと思うと、背中が痒くなる……というようなことを、ずっと繰り返している。

首なんて特に色素沈着が酷くて、すっぴんの状態でも顔より3トーンくらい暗い。寝起きであろうがお風呂上がりであろうが、常にメイクを始めたばかりの中学生のような色のバランスなのだ。
人間は、痒みの前では無力だ。1日数回、痒みは顔を出す。そうなるともう、痒みの事しか考えられなくなる。

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多分、実際は違うと思うのだけれど、二重人格の人が主人格を乗っ取られるときって、こんな感じなんじゃないか、という気さえする。これがしたい、これをやらなきゃ、これをしよう……みたいな、思考の全てが、痒みによってガン!と押さえつけられてしまう。

10年以上前に「脳内メーカー」みたいな名前の、脳みその断面図に「眠」とか「食」とか「恋」とか書いてあって、人物の思考を現す診断のようなものが流行っていたと思うが、あれが全部「痒」で埋まるような感じだ。

そうなるともう、皮膚へ向かっていく指を止めることはできない。

自分の指でありながら、そうでないような感覚に陥る。痒みに操られた私の指は、そのまま私の皮膚をガリガリと、まるで削り取るかのように引っ掻く。
掻いちゃダメ、そんな事は分かっている。分かっているのだ。
「掻いたら余計に酷くなるよ」
この言葉をアトピーの人間に言うのは、「殴ってくれ」と言っているのと同じことだ、と私は思う。

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声に出すかどうかは人それぞれだが、そう言われた瞬間の私は、心で「んなこた分かってんだよ!!」と叫んでいる。アトピー体質の人たちは皆そうに違いない。

アトピー仲間からの、理解しつつも心配を堪えきれなかったが故の声掛けであれば、まだ受け入れる気にもなる。けれど、全くアトピー体質でない人間からの「大人なのに我慢出来ないの?」という気持ちをはらんだその言葉は、受け入れてなるものかと強く思う。
アトピーついでに性格もひん曲がってしまった私だが、非アトピーの人達よりも自分の肌に感謝している自信がある。
いつもより少しでも調子が良いと、「頑張ってくれてありがとう、皮膚くん!」と思う。私がもしアトピーでなかったとしたら、このような当たり前の幸せに気がつくことは出来なかっただろう。

それに、もしアトピー体質ではない人生を歩んでいたら、私もアトピーの人に対して「掻くのは良くないよ」という禁断の言葉を発してしまっていた可能性がある。アトピーを抱えて生まれて来たおかげで、他人を無配慮に傷つけたりせずに済んだとも言える。
これらの恩恵を考えると、この体質も神様からのプレゼントだと思えなくもない。

……んな訳あるか。そうなのだとしたら、ろくな神様じゃない。
来世はどうか健康な皮膚を、よろしく。